スリープモードからの覚醒中、聴覚センサーが誰かが忙しく動き回る音を拾う。
――誰だ? まだ眠てぇってのに……
アイセンサーを起動させると、低処理状態のブレインが、見慣れない天井を知覚した。夢心地の俺はそこで
『ああ、サウンドウェーブの家に引っ越したんだっけ』
とやっと思い出した。
メガトロン様の命令により急に決まった転居ではあったが、さすがは参謀クラスの住居。サウンドウェーブの家には俺が転がり込む余裕は十分にあった。カセットロンが居るからという理由を考慮しても、広さが俺のような末端とはまるで違う。物置となっていたらしいスペースが開け放たれ、そこに俺の部屋から運んだ荷物がすっぽりと収まった。
昨日一昨日は突然の引っ越しに徹夜で荷物をまとめて、荷物を運んで。眠いまま仕事へ行って。……コーヒーを飲み続けても、流石に睡眠不足で作業にもならなくて。結局、メガトロン様とレーザーウェーブに午後休と今日ぶんの休みを一日を取らされた。メガトロン様に限っては昨日引っ越し当日に出勤したことにまず驚いていたが。
休みになったからと午後休の時間に家具を買いに行かされて疲れた羽根に鞭打たれ、帰れば組み立てなければ寝る場所がないと言われ。流石に解いた荷物を目についたものからとりあえず突っ込むのはサウンドウェーブも手伝ってくれたが。結局、へとへとに疲れ切った昨日は食事も早々と済ませて寝てしまったのだと思い出す。
サウンドウェーブが風邪を引いた時に半休を取ったばかりだが、この短期間で有給をまた1日半分消費だ。だがこの疲労感を思うに、今日も休みをもらってよかったとは思う。まあ余ってたくらいだからちょうどいいくらいではあるのだが。
サウンドウェーブも、おとなしく今日も休みを取った。あのワーカホリックがと意外だったが。昨日の晩飯の時にはレーザーウェーブがちょうどサウンドウェーブの代わりに来ている時でよかったなどと言っていたし、引き継ぎさえちゃんと出来ていれば休みもきちんと取るらしい。
ただ、レーザーウェーブに対してよかったと言う割にはその言い方はひどく憎々しげで、サウンドウェーブが考えていることは……相変わらず真意は分からない。
分かろうとするだけ無駄なのかもしれないが。
のろのろと部屋を出ると、目の前を小さな機体が足音を立てて駆けて行った。
「よお」
とその背に声をかけると、弾けるように振り向かれる。ちょうどカセットロンたちが出かけようとするところだったらしい。
ああ、そうか。サウンドウェーブは休みを取ったが、カセットロンは今日もまた仕事か。
その手には弁当の包みが握られていた。
「おはよう! やっと起きたか!」
「今日の朝ごはんはフレンチトーストだからな!」
「サウンドウェーブのフレンチトーストはとろとろでおいしいんだぜ!」
矢継ぎ早にまくし立てるフレンジーとランブルに気圧されるが、その勢いのまま、カセットロンたちは元気よく出て行ってしまう。
「じゃあな、サンダークラッカー!」
「行ってくるぜ!」
寝起きの俺に、その勢いについていけるわけがなく。ドアの向こうに消える元気な顔に小さく手を振るのが精一杯だった。
「……行ってらっしゃーい、っと」
完全に閉まったドアに向かってもごもごと呟く。
行ってらっしゃい、ね。
自分が発したその言葉が自分の中で違和感として残る。誰かをそう送り出すのは、初めてだ。
今までは独りで暮らしていたせいか、朝から声を掛け合うような誰かがそばにいるというのは変な気分だ。家は眠りに帰るだけの場所でしかなく、誰かと過ごす場所じゃなかった。
サイバトロンと戦争をしていた頃は、他の奴らと常に一緒にいるなんざよくあることだったってのに。なんだか、キャノピーやウイングがむず痒い。
いや、むず痒いというよりは、落ち着かないってのが一番しっくりくる。でも、嫌じゃない。
俺もまんざらでもないんだなとキッチンに入ると、ちょうどサウンドウェーブが食事を始めたところだった。
「……おはようございます」
「……思ったヨリは早イナ。コーヒーはイルか?」
サウンドウェーブが立ち上がりかけ、いやそれくらいは自分でしますと慌てて制す。そんな俺をサウンドウェーブはじっと見た後、調理台の方へ無言で向かった。
どっちにしろ、朝飯はサウンドウェーブが作るんだもんな。
キッチンを見回すと、一昨日発掘されたコーヒーマシンが隅の方に置かれているのが見つかる。ずっと俺の家にあったものが、サウンドウェーブの家に当たり前のような顔をしているのが変な気分だった。
こいつ、俺よりも馴染んでるじゃねえか。
じゅわっという油の跳ねる音とともに甘い匂いがキッチンから流れてくる。抽出され始めたコーヒーの匂いがその甘さに混ざり合う。
仕事を休んだ日特有の、少しの罪悪感と余裕のある緩やかな空気。一人で暮らしてる時だったら、仕事もない日なら昼まで寝ていただろう。
「今日は何かすることはあります?」
焼け目のついた薄い黄色のトーストが山と積み上がった皿を俺の側に置きながら、サウンドウェーブが顔を上げる。
フレンチトーストというものは、卵の染み込ませさえやっておけばすぐに焼きあがる。
俺たちは同時に席についた。
「転移にヨル諸種の手続きを行政機関に申請スルところマデ俺にやれと?」
サウンドウェーブは口にトーストを運びながら、そう皮肉めいて言う。
ああ、忘れてた。そういうのも必要だったな。だから1日余計に休みをくれたのか。
「まさか」
小さくいただきますをした後、俺もトーストを口に入れる。
よく卵が沁みて厚いパンの中まで崩れそうなほどトロトロになっている。砂糖が大量に入っているらしく、とても甘い。でも甘いだけじゃなく、その砂糖が焦げたらしい部分やトーストの耳が香ばしい。コーヒーにも合うが、牛乳と一緒に食べても美味しいだろう。
ああ、今日もサウンドウェーブの飯は美味い。
「デストロンへの書類の提出も忘レルナ」
……完全に忘れてた。
それにしても、美味しいものにくらいもうちょっと浸らせていただきたい。
皿の上のトーストをフォークでつつく。書類だなんだかんだのも、フレンチトーストくらい簡単だったらよかったのに、と。
「にしても、転移だなんだ手続きだなんだってのはめんど臭えな」
俺が小さくぼやくと、サウンドウェーブが鼻を鳴らした。
「何を言ッテイル。結婚後の手続きヨリはマシだろう」
「は!?」
結婚後の手続き?
突然の『結婚』と言うワードにびっくりして思わずその顔を見上げるが、その顔はあおられたコーヒーマグの向こうで伺えなかった。
サウンドウェーブはそのままコーヒーを飲みきり、マグが音を立てて食卓の上におかれる。
「冗談ダ」
マスクを閉じながら、サウンドウェーブは抑揚なくそう言った。
いや、どう考えても冗談には聞こえないし、冗談をいうタイミングではなかった。まるで口を誤って滑らせたかのようにしか思えない。
そりゃそうだ。公認の仲になって、同棲も始めて。俺たちには別れるも何もないし、そうなりゃ自然と次は決まっている。結婚だ。世間一般のお付き合いで言えば、同棲と同時に籍を入れるのも珍しくない。付き合うだ同棲するだはどうにかなるが、結婚や籍を入れるとなると色々と話はややこしくなってくる。そういや、こいつにその手の話を確認したことなかったな。今まで惰性でしかやってきていなかったが、俺は色々と不安に思うべきだったんじゃねえのか?
今更不安になってくる。
自分のアホさがのろわしい。サウンドウェーブはとっくに分かっていたとは思うのだが。コーヒーに口をつけながら『未来の結婚相手』の様子を伺う。『じゃあ、ついでに籍も入れてきます?』なんて冗談を今言ったら、通じるだろうか?
「あんた……」「午後は……」
気まずさに口を開くと、同時にサウンドウェーブも何かを話し始めようとする。
先に、と話すのを譲ると、微動だにせずサウンドウェーブは話し始めた。
「書類ダなんだは、午前中に行ッテコイ。午後は買い物に行クゾ」
また買い物か。
「まだなんかあるのか?」
「オ前が正式に住ムのなら、洗面用具、洗濯関連、寝具、今週の食料品の買い足し。家にひとが増エレバ、買ウ物が増エル。『いつでもアシに』使ってクレと言っていたダロウ」
まあ、いつも通り、さも当然と言うようにしかサウンドウェーブは答えない。
家にひとが増える、俺が加わるのも当たり前だと言うように。
「……ああ、言ったけどよ」
「ナラ、早めに申請に行ッテ来い」
そう言ってさっさと自分の食べ終わった皿を持って立ち上がった。そして、一歩を踏み出す前に、こちらに向き直る。
「で、オ前の用ハ何だ?」
「は?」
「サッキ、何か言イかけていたダロウ」
言えるわけがない。うっかり冗談めいて、いや冗談にも聞こえないかもしれない。さっきのはまるでプロポーズだ。
「……フレンチトースト、美味しいです」
内心困り切った俺が絞り出せたのはそれだけだった。本心でしかないが、まるで間抜けだ。
しかし、俺の間の抜けた答えに、サウンドウェーブは少し笑ったようだった。
「あのふたり、今ごろどうしてるかなー」
「意外と進展してたりしてな」
「どうかな。飯の話しかしてなさそう」
「言えてる」