換気扇が回る音に混じって、パチパチという快い音が聞こえる。まったりとした油の匂いがかすかに生姜の匂いと混じって漂う。
キッチンへなんとなく近づいた俺は、サウンドウェーブの手元を覗き込み、思わず感嘆した。
「唐揚げか! ひとりじゃ、絶対家でなんかつくんねーメニューだな」
サウンドウェーブが菜箸でジップロックの中身を油に落とす度、油がじゅわっと泡立ち、煙が小さく上がる。金色の油の中で、鶏肉が白い衣をつけてぷかぷかと浮かぶ。
何故だか、食い入るように見てしまう光景だ。そろそろ夕方で腹が空いてきているからかもしれない。
しかし調理中のサウンドウェーブにとっては横にいる俺は揚げ物の邪魔だったらしい。しばらくの後、こちらに不機嫌そうに顔を向けたので、俺は即座に一歩だけ下がった。
「何カ用カ?」
「いや、これと言ってねえんですが、なにぶん、手持ち無沙汰で。見ていても?」
小さなお願いは無視で返される。が、少し離れたのが良かったのか、サウンドウェーブはそれ以上の不快アピールをしてこない。
俺は無言のサウンドウェーブの側にダイニングの椅子を引きずっていき、サウンドウェーブの作業を横から見ていられる位置に座り込んだ。
一瞬、サウンドウェーブはこちらにセンサーを向けたが、すぐに鍋の方へ向き直った。呆れさせた者勝ち、というやつである。
椅子の背もたれを顎置きにして揚げられていく鶏肉を見ていると、なんだかぼんやりしてくる。油に入れる、しばらく揚げたら一旦バットに移して余熱で火を通し、二度揚げする。単純作業の繰り返しだからか。サウンドウェーブが黙り込んでいるから静かすぎて、気が緩むのか。そういえば、引っ越しが決まってから、こんなにゆっくりとするのが初めてかもしれない。
ここ数日のことを頭の中で振り返る。
今日だって一日の大半は外にいた。言われた通り、午前中に移転に伴う手続きに行き、午後は細々とした日用の買い物に行った。
サウンドウェーブの横顔をちらりと盗み見る。奴さんも俺の買い物に付き合って疲労が溜まっているはずなのに、微塵も感じさせない。病み上がりだと言うのに、タフな限りだ。
とにかくこれで、物理的にも書類上でも俺の家はサウンドウェーブのところになった。
急展開すぎて現実感がまだ薄かったものの、住所変更の書類で新しい住所欄にサウンドウェーブの名前が「様方」で並ぶのを見たら流石に自分ごととして感じられた。
そして、やはり同類の中ではデストロンの参謀として名前の知れたサウンドウェーブである。事務処理をする情報収集員が新住所を見た時の表情と言ったら。俺の顔と書面を何度も見比べていた。俺はサウンドウェーブと違ってブレインスキャンなど出来ないが、そいつが何を思ったのかは考えなくても分かる。
今まではデストロンの中で話題になっているだけだったが、今後は他の組織やサイバトロンどもなんかにもこうやってバレていくのだろう。
そこまで考え、自分の思考が流れに流れたの気がついて、俺はため息をついた。
火のそばにずっといるからか、何だか暑い。
俺はそこでふと思い立ち、冷蔵庫を開けて、前の部屋から持ってきた数少ないモノを取り出した。観覧席に戻り、プルタブをひねる。
かしゅっという炭酸の音にサウンドウェーブがこちらに目を向ける。俺が持っているものを確認すると、ついに呆れた声を上げた。
「ヨク何も飲マズ食ワズで飲めルナ」
「飲んではいます」
手に持つビールの缶を振って見せる。俺が冗談で返したのに対してサウンドウェーブはため息をつくと、カウンター下の収納へ身を屈めた。それから体勢が戻ると、キッチンペーパーが敷かれたバットの唐揚げに竹串が刺される。
「……2個マデダ。フレンジーもランブルも唐揚ゲは好キダカラナ」
なんだかんだ言って、甘いというか、面倒見がいいんだよなあ。
しかし食べて良い、とお許しが出たからには素直に頂くのみだ。
二度揚げでカリカリになっている衣が口の中で崩れ、生姜の匂いが鼻に抜ける。歯が肉に達すると、じゅわっと肉汁が出てくる。
「うまっ! 何だこれ」
揚げたてのあまりの熱さに口腔ユニットが焼けただれるが、そんなことを気にしていられない。つまみにならないほど一瞬で、食べきってしまった。肉の味で満ちた口の中をビールの苦味と酸味でそそぐ。
居酒屋でだいたい誰かひとりは頼むあの適当な唐揚げとは比べ物にならない。今までのあれらは一体なんだったのか?
「下味ヲポン酢にシテミタガ、どうだ?」
「いや、下味までは分かんなかったですけど、異常に美味いです」
「ソウカ」
サウンドウェーブのいつもの下味が分からないのでなんとも言えないが、ちょっと変化球でこれだけ美味いのだから、見当もつかない。味見役のコメントとしては申し訳ないが、とりあえず美味いとしか言いようがない。
「ほれ、あんたも」
バットの上の唐揚げに串を刺し、サウンドウェーブの目の前に突き出す。
「イヤ、俺ハイイ」
サウンドウェーブは即座に断るが、味見してみたらいいじゃないかと俺も食い下がる。と、困惑した様子で唐揚げと俺を見比べ、最後は渋々といった感じで受け取った。
が、齧った瞬間、
「熱ッ」
と、サウンドウェーブが口を抑えた。
そりゃ、そうだ。
「飲みます?」
缶ビールも渡そうとするが、熱さに狼狽えながらも、サウンドウェーブはまた拒否する。が、俺もまたもや無理矢理手渡す。食べ物ではなく酒だから、どうでるか分からなかなかったが、結局、流石の参謀様も背に腹は代えられなかったようで、ついにビールをあおった。
「でも美味しいですよね?」
飲み込んだのを見届けて、サウンドウェーブに聞く。それにサウンドウェーブはイヤな顔はしたが、否定はしなかった。
とにかく熱かったのだろう。顔が赤くなっている。それとも、ビールのせいだろうか? 元々、油や火で暑くなっていたのかもしれない。
手元に戻ってきたビールを飲みながら、近くにあったうちわでそよいでやる。俺が涼しい顔でいるのがムカつくのか、サウンドウェーブは俺を見ながら複雑な表情を浮かべている。それがなんとなく笑える。
「いやあ、あんたでも熱いもんは熱いんですねえ」
「……俺ガ1つ食ベタカラ、アトハモウ夕飯ノ時ニシロ」
「そりゃねえぜ」
サウンドウェーブが最後の唐揚げをバットに上げ、火を止める。
「フレンジー達がモウ到着スル。今カラ食ベルと、ウルサイゾ」
そう言うサウンドウェーブの顔はまだ赤い。耳を澄ますと、なるほど、玄関から音がする。
サウンドウェーブに酒を飲ませたのはカセットロン的にはまずいだろうか?
うちわを元の場所へ戻し、缶の残りを干してささっと水でゆすいで潰す。
「あんたも顔赤いから、飲んでたのはどうせバレると思うぜ」
そう言うと、自覚がなかったのか、サウンドウェーブは自分の頬をごしごし擦った。
「さっき帰ってきた時、サウンドウェーブもサンダークラッカーも顔赤かったけど、マジで進展あったのかな?」
「いや、二人ともちょっと酒臭かったし飲んでただけだろ?」
「なーんだ」
「サウンドウェーブ、俺らがいないと無理だろ」
「それはそうだけど。サンダークラッカーって結構パーソナルスペース狭いからさあ」