「ごめんなさい。ちょっと疲れてて……一人で先に宿屋へいってもいいかしら?」
ルプガナについた途端、リンダ王女がそう言った。
ちょうど久しぶりにまともな食事をしようとアレンが話していたところで、いつもはアレンに従うリンダ王女が初めて自分の意見を言ったので僕らは驚いた。アレンと顔を見合わせる。
先程まで気がつかなかったが、彼女の顔は少し青ざめている。
瞬時に示し合わせた答えは決まっていた。
「では、先に僕らだけで向かいましょう。僕も疲れましたし」
「じゃあ何か食えるものを買ってくる。ついでに町の様子も見てくる」
アレンは言うが早いか、さっさと走っていってしまった。それに唖然としながら、僕は宿の方向へ体を向けた。リンダ王女は歩き出す前に少しだけ振り向き、ため息混じりにこぼす。
「……彼、羨ましいくらいタフよね」
宿へ直行することが決まったからか、少し気が抜けたからか、そう言う彼女の顔は先ほどより疲れの色が濃くなっていた。
宿屋の主人に3人分の宿代を払い、2階の部屋に通してもらう。王女と王子には質素過ぎるベッドだが、野宿とは比べ用もないくらい快適だ。
王女がフードを脱ぎ、木の椅子へと座る。
「大丈夫ですか? 横になった方がいいんじゃ」
「いいえ。こうして座っていれば、だいぶ楽になるはずだわ」
まあアレンが何か買ってくると言っていたし、寝るにしても、栄養を摂ってからの方が身体も回復するには違いない。
部屋を見渡すと、洗面器と水差しが置いてある。
後で宿の人に言って、追加の料金で水をもらおう。そうすれば少しは彼女の疲れも取れるだろう。
「あとで手や足も洗いましょう。そうすればきっと元気になりますよ。ムーンペタからここまで、町がなかったですか……らね」
言いはじめてから、自分ながらとんでもない失言をしてしまったと気がつく。彼女にムーンブルグのことを思い出させてしまっただろう。
本当だったら、ラダトームが力を喪いつつある現在、このルプガナあたりまでは陸路においてムーンブルグの影響下にあったのだ。ムーンブルグ城はこの大陸の中心地にある要。あの城が落ちたことで、街道は分断され、ハーゴンの支配力が急速に広がった。
ムーンペタからの道中、誰も口にはしなかったがムーンブルグが健在であればとみなどこかで思っていたと思う。少なくとも僕は竜の塔に差し掛かるあたりからそう考えてしまった。
話すにつれ歯切れが悪くなった僕の気持ちを察したのか、リンダ王女は首を振って、優しく微笑んだ。
「ええ、本当に」
なんんてことを言ってしまったのだろう。僕も自分で思っているよりもずっと疲れてるのかもしれない。
つまらない失言をするくらいなら黙っていた方がいいのだが、それでも僕は沈黙には耐えられなかった。
「そうだ、明日にでもこの町の武器防具屋にでもいきましょう。これだけの港町です。きっとこれからの旅の助けになる武器や防具も揃っているはずですよ」
リンダ王女は微笑みは崩さないが、首を横に振った。
「ありがとう、でも……大丈夫よ。きっとつまらないわ、私には使える武器が少ないんですもの」
「…………」
リンダ王女はそう言った後、幾分マシになってきていた顔色をまた青くした。
「ごめんなさい。私ったら。せっかく慰めていただいたのに」
つい、口を滑らせて言ってしまったというような。普段は言葉を選ぶ彼女もひどく疲れているらしい。僕は初めて王女の気持ちに触れたような気がした。
「……武器をお持ちになりたいのですか?」
しかし、それは王族の女性としては意外な本心だった。僕にもお転婆な妹がいるが、それでも妹の行動や思想は王族の女性の範疇に収まっている。
「ええ、きっとおかしいのかもしれないけれど。いつかは貴方たちのように、と思っているのよ。でも力は全然つかないし、歯痒いわ」
少し恥ずかしそうに、彼女は目を伏せる。
「光栄ですが、僕程度ならまだしも、アレンのような力でしたら一昼夜ではつきませんよ。それに強い魔法が使える王女が剣まで使えたら、僕らは立つ瀬なしです」
「でも、魔力が尽きた時は身を守ることしか出来ないなんて……」
竜の塔からルプガナまでの道中を思い出したのだろう。でも、その気持ちはよくわかるところがあった。僕もローラの門からムーンペタに着く頃までは散々アレンの世話になった。その罪悪感にも似た恥の感覚は非常によく分かる。
聡明な彼女なら、風の塔の前に一度僕らがローレシアあたりまで帰った理由も薄々気が付いていたのだろう。
「すぐに貴女に向いた武器が見つかりますよ。でも、可憐な王女様がアレンのように大剣を振り回す姿なんて、世の男は見たくないと思いますがね」
やっと王女がいつものように、うふふっと笑った。
「ロトの仲間には女性の戦士もいたじゃない。私はずっと、憧れていたわ。だから、小さい頃から剣術を習える男の子たちが羨ましかったわ」
勇者アレフが見つけたというロトの仲間の遺物。確かムーンブルグの王家に継承されていたと聞く。現物を見ていたから、彼女には強い憧れがあったのだろう。
「それに……犬になっていた時にね、ずっと『もっと攻撃魔法を知っていたら』とか『私が剣を振るえていたら』なんて思ってばかりいたの。呪いの言葉の通り、自分は国や父を捨てて逃げた負け犬なんだって」
「…………」
やはり、と思う。
仲間になってからの彼女の鬼気迫るような魔術の習得は、王族ゆえにムーンブルグ崩壊の責任を強く抱いていることらしいのは薄々気がついていた。
ローラの門の向こう側はたしかにまだこちらの大陸に比べたら平和で、サマルトリアにはのほほんとした空気があることは否めない。ローレシアには逃げ落ちてきたムーンブルグの伝令が届いたゆえにサマルトリアよりも危機感があった。
僕は少しだけバツが悪くなった。
「でもね、憧れは本当なの。いつか、ガライの叙事詩で歌われる伝説の勇者が来た、上の世界というのを探して旅してみたいわ。酒場で仲間が集まってしまうくらい、僧侶や魔法使いや盗賊、商人……色々な人がいる世界に。女の子でも戦士や武闘家でいておかしくない場所に」
こういう自分の願望を口に出してことは今までなかったのかもしれない。王女の顔は興奮にうっすら上気している。先程までの青い顔の陰りは、もう見えない。
「そうですね」
僕は本心から、同意する。彼女の魔力や魔法を見れば、誰もが彼女がただのお姫様ではないと認めざるを得ないだろう。それに、僕らの曾祖母は勇者アレフが助け出したが、リンダ王女はその二人の子孫だ。気丈な彼女ならもしかしたら、勇者なんて待たずに自力で脱出してくるかもしれない。
「……おや、アレンが帰ってきたみたいですね」
「ええ」
クスクスと王女が笑う。
宿屋の下の階から良く通るアレンの声が聞こえ、すぐにどたどたと2階に登ってくる音が聞こえてきた。部屋のドアがものすごい音を立てながら開かれる。
「二人とも! これ着てみろ!」
腕の中には杖とローブが携えられている。アレンが僕らの眼前でそれらを開く。魔道士の杖とみかわしの服。どちらも珍しい、魔法のアイテムだ。
「ギラの魔力が込められた杖ね!」
込められた魔法を瞬時に見抜いた王女が高い声をあげた。
「アレン、これ結構したんじゃない?」
「でもこれで旅もだいぶ楽になるだろう?」
アレンもちょっと興奮気味だ。アレンには魔法の適性がないからこそ、こういうアイテムが好きなのを、僕は知っていた。
アレンが一通り振って満足した杖を受け取る。
「うん。ありがとうね」
実際、アレンに戦力で迷惑をかけっぱなし僕としても、ありがたい限りだ。これだけ軽ければ、アレンほど重い武具をつけて動けない僕も、もっと戦闘で貢献できるだろう。
リンダ王女は自分の物になった杖をしげしげと見つめている。興奮して赤くなったその耳元に僕は口を寄せた。
「ね、だから言ったでしょ。『すぐに貴女に向いた武器が見つかりますよ』って」
そうね、と王女は笑って見せた。