フレディのその温かくて優しい手に甘えながら、どれくらい歩いたんだろう。キャンプをする人たちを見なくなった付近から森の木々の密度が濃くなり、辺りはもう闇の中だった。夜になったのだ。それでも、その森の中はいつでも暗い、日の目を見ることは無いように思えた。
「疲れた?」
私は首を横に振る。けれど、やっぱり疲れているのかもしれない。フレディもアーウィンも疲れた様子は一切無い。
「もう少しですよ」
目が合うと、アーウィンはそう言ってくれた。そこでフレディが森に入ってから初めてアーウィンに声をかける。
「で、あんたはどうすんの?レナはこのまま俺と”村”に入る。あんたは?」
「……もちろん、レナと共に」
アーウィンが恭しげにそう言った。するとフレディは私の方にくるり振り向き、尋ねる。
「ねぇちゃん、あいつを、アーウィンを守り役にしたい?」
「まもりや、く…?」
また知らない単語が出てきた。まもりやくまもり役、守り役。アーウィンは私の教育係だ。お守り役という意味ではそうなるのかもしれない。どういうことなの?不安になってアーウィンを見つめると、表情を変えることなく守り役について話し始めた。
「……央魔となったあなたには冥使を縛る力がある。あなたは央魔の血で、冥使をひざまずかせることができる。私に血を送るだけで」
「で、でもそんなことをしたら」
ねぇちゃんの知っているアーウィンじゃなくなるかもしれないね。フレディが私の手を離しながら冷たくそう言った。
「ねぇちゃん、冥使は央魔の守り役じゃない限り保護対象じゃないんだ。アーウィンがこのまま”村”に行って、祓い手に狩られたとしても……。守り役でもないのに央魔に従う冥使で、それにいろいろ事情もあるしで、いくら俺でも」
守ることは出来ないよ。
「ねぇちゃんが血を与えない限りね」
頭の中でパニックが起きる。2人とも何を言ってるの?いやっ!いやよ!アーウィンは私の教育係で、失ってしまったあのゆるやかで温かい甘い世界の中で唯一私の元に残った存在で――
「……アーウィンは?アーウィンはどうしたいの?」
声が震える。アーウィンが守り役になることを選ぶことを恐れながら。アーウィンに尋ねる。
「私は……」
アーウィンが口ごもった。お願い。守り役になるなんて言わないで!私はアーウィンを失いたくないし、かといって私がヒトであった証明をなくしたくはなかった。アーウィンの口元が何かを言おうと開く。
ぎゅっと目を瞑った私に、触れたのは冷たい指先だった。
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空気がじんわりと冷たくなる。暗い森の木々の中、より深い闇が漂い始めた中心で、アーウィンがレナの肩に触れた。冷たそうな手と、対照的な優しく泣かないでくれと宥めるような動作。
「私を試すのは構わないが、これ以上レナをいじめてくれるな」
じっと見つめると、アーウィンはそう冷たく言い放った。俺は背中で隠すように握っていた銃身を腰にぶら下げたホルダーの中に収める。
その言葉の意味は、死ぬ可能性があってもいいからレナの側に。それとも”村”の祓い手に狩られるほど弱くないという自信の現れか?しかしそれだと何故アーシュラに殺されかけたのだろうか。”村”に詳しいこの奇妙な冥使は何か他に抜け道を知っているのだろうか。
「………」
俺は銃から手を離さず、アーウィン次の言葉を待っていた。
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アーウィンの冷たい手を肩に感じながら私は2人の間で取り交わされている話を黙って聞いていた。知らない言葉。聞いたことはないし意味も分からない言葉を使った2人の会話。「どういう意味なの?」そんな声も憚られる空気に私は1人とり残されていた。アーウィンはどうなっちゃうんだろうと不安になるけれど。パニックになった私だけを置いて、周りの時間が2人の話がとても冷静に流れていく。
「ねぇちゃん」
肩にあったアーウィンの冷たい手が、いつの間にかフレディの温かい手に変わって置いてあり、至極近い距離から顔を覗き込まれていた。
…お話、終わったんだ。
はっと見渡すと、ちゃんとアーウィンは私達の隣に立っていた。その姿に私はホッとする。
「アーウィンは?私はどうすれば」
「どうもしなくてもいいよ。あいつは…アーウィンは、まぁ特例ということで一応、俺のほうからも”村”のみんなには根回ししとくし」
あーあ、面倒が増えちゃったよ。
いたずらっぽい顔で快活にフレディが言った。先ほど、アーウィンにかけていた冷たい声とは全然違う。アーウィンを見ても何も言わないし、フレディの言う言葉だ。信じて大丈夫だろう。
「良かった……」
そう零した私に、フレディが微笑みかけてくれる。また歩き出した2人の後を、私は追いかけた。