温かいスープが似合う日(仏英)

リビングに入ると、寒さに鼻の奥がツンと締まった気がした。空気の冷たさに風邪気味の喉が咳を漏す。部屋は昼間に窓を開けたままで、アーサーの姿はない。暗い部屋の中でレースの白いカーテンが強い風にはためいている。ついこの間までこの時間、西の空を赤く染めていた太陽の姿は見られなかった。そのかわり、黒いベールを纏った星空は裾を広げて。窓の外では猫の爪で掻いたように細い月が庭の高い木の梢に引っかかっている。
風は少し力を貸すだけで、音をたてて窓を閉めた。鍵を掛けても、隙間から高い音を鳴らしている。
熱はまだないが、体はだるいし、喉が痛くて声が出ない。体を休める前に飲んだヴァンショーは蜂蜜を入れすぎていたようで、口の中に独特の甘みがこびり付いて気持ちが悪い。見ていたアーサーが顔をしかめていた理由がやっと分かった。鼻が詰まっているからとは言え、味音痴なあの男にそう見られる日が来るとは思って居なかった。

部屋の明かりがふいに灯った。

「おい、ここにいたのか」

振り向くと、アーサーが廊下からこちらの様子を覗いていた。

「窓、開いてたから」

潰れた声しか出ない。アーサーには聞こえなかったようだ。窓を指さすと、やっと理解できたようで、微笑んだ。

「喉は、相変わらずか。そんな寒々しい格好でうろうろしてるからだぞ。せめて暖かくしていろよ。起きてきても寒くないようにダイニングにストーブ焚いておいたんだからな」

ダイニングに居ろよ。そう言ったアーサーは、俺に食欲があるか尋ねた。驚きに言葉を返すと、また聞き取れなかったらしい。聞き返してきた。俺は精一杯に声を張って繰り返した。

「『なんてこった。アーサーが優しいなんて』って言っただけだよ」
「いつもだ、馬鹿」

いつものようには怒らず、アーサーが笑った。

ダイニングに入ると、ストーブが煌々と燃えていて、確かに暖かかった。
テーブルの上には、刺繍の途中のものとマグが置いてあって。アーサーはここで俺が起きてくるのを待っていてくれていたようだった。

「まあ、食欲があるなら座れよ」

パンの入ったバスケットを持って食堂に入ってきたアーサーは、テーブルの上のものを片付けて、そこに白いシチュー皿を二つ並べた。

「坊ちゃんがご飯作ってくれたの?」
「味は保障出来ないけどな」

ホワイトシチューが盛られる。匂いは分からないが、見た目は悪くない。とびきり熱々に温めてあるのか、この部屋の中でも湯気が真っ白くたなびいている。一口食べても味が分からなかったが、上顎が火傷しそうなくらい熱かった。

「今のお兄さんには、まだちょっと味薄いかも」

小さくつぶやいた声に、スプーンを持ったアーサーが驚いたように手を止めた。

「重症だな」

そうだなと俺がそれに応えるように微笑むと、アーサーもいつもは仏頂面な表情を少し和らげているのに気がつく。この男にしてはとても珍しいことだ。
本当に、今日は『超』がつくほどアーサーが優しい。風邪で気が弱まってそう感じるだけかもしれないが、この不器用な隣人に関しては、病気の時だけだと卑屈になれない。今は、こいつも俺のことが心配なのだと自惚れていたい。

風邪のせいで大きな声で俺がしゃべられないせいか、アーサーも今日は声を小さく囁くようにして話している。そんな静かな空間には、食器の音、ストーブの石油が下るコポコポという音と、窓に風が当たっている音の他には,相手の声しか聞こえない。
胸焼けのようになっていた口の甘さも薄れた。アーサーに今日ばかりは甘えることにして、食後には、暖かいミルクティーをいれてもらうことにしよう。

こんなに穏やかな気持ちで居られる。
俺はなんとなく幸せな気分になって、薄く目を閉じた。