カラン、とドアについたベルが鳴ったのとフランシスがカウンターから顔を上げたのは同時だった。いつ頃から寝ていたのだろう。寝ぼけまなこで見慣れた警官の紺の制服姿を確認し、『少なくとも』この時間まで寝てしまったのかと自分でもびっくりとしていた。
「いつもどおりさびれてんな」
警官がそう呟いた。カフェのマスターがカウンターで寝られるほど暇だなんて平和でいいよな、と。
「何言ってんの。坊ちゃんがまるで人がいないのを見計らったように入って来るからでしょ」
確かに大学の裏手にあるこのカフェに客が少ないはずがなく、マスターのフランシスの風貌と性情もあいまって特に女性がよく足を運んでいるようだった。もちろん、ここのコーヒーが好きだと惚れ込んで通う人も多かったのだが。
そして、そんな人々を物好きだとこの警察官──アーサーはいつもフランシスに向かって鼻で笑っていたが、制服姿で人の出入りがちょうど切れる午前11時に毎日毎日早めの昼食を食べにくるこいつこそ、一番の物好きで変わり者だとフランシスは思っていた。
俺は寝ていた席から立ち上がると、アーサーをカウンターの内側、目の前にサイフォンが置いてある指定席に座らせた。こいつにコーヒーを出す時はいつでも、ドリップやマシンではなく、サイフォンで淹れている。 前にコーヒーを抽出しているを見ていたいとカウンターの内側のスペースに入れてやってからというもの、椅子がいつの間にか置かれ、勝手に奴の席となっていた。
よくも毎日お兄さんもこいつを構ってあげられるもんだね。そうしみじみと思うが、このアーサーを皮肉屋の物好きな客と言うその前に、こいつと腐れ縁だっていうのがあるからだ。まぁ、またその前にもいろいろとあるけど。
「とりあえず、今日は何食べる?」
「…サンドイッチとコーヒー」
アーサーの席の向かいという定位置に立った俺は、思わず奇異と好奇心の目で片方の眉を上げた。
「へぇぇ、坊ちゃんがコーヒーを頼むなんて珍しいじゃない」
「紅茶は俺が淹れた方がうまいだけだ」
でもコーヒーは別なんだ?
フラスコを乾いた布で拭きながら、見透かしたように俺が笑うと、その背後でぎゅっと不愉快そうに眉間にしわがよったのが分かった。
ポットからフラスコにお湯を注ぎ、店の安いマッチでアルコールランプに火を付けながら、不機嫌になったお客様の言い訳を聞いてあげる。
「別にそんなんじゃねぇよ」
「素直じゃないねえ」
悪かったな、素直じゃなくて。
ふ、と眉間のしわはとれても拗ねたような顔は戻らない。俺は苦笑いと共にフィルターとコーヒー豆をセットしたロートをフラスコの上にセットした。子どものようなそのアーサーの拗ねた顔がまったく面白い。沸騰して泡立つお湯がロートに登り始めたのを確認して、小さな砂時計をひっくり返した。
「俺がお前だったら、ちゃんと坊ちゃんに会いにわざわざ店に来て、アーサーの紅茶が飲みたいって言うのに」
まったく素直じゃない。
ねえ、と指定席の上のアーサーの顔に手をそえる。するとたちまち赤く染まった頬が可愛くて俺はその輪郭にキスを落とした。
ちゅっと輪郭をなぞると、俺から逃げるようにより赤くなったその頬を手で隠した。照れて、焦ったようにアーサーが喚いてサイフォンを指差す。
「ほら、フランシス、ロートにもうお湯が全部上がるぞ」
振り返ると、確かにあと少しで上がりきりそうになっている。思わずまわしていた手を離すと、アーサーがほっとした表情になったのを見てしまった。
しかしながら、コーヒー自体があまり得意ではないアーサーが俺やコーヒーの淹れ方のことを覚えているのが分かり、自分のことをよく見いるのだと自惚れてみる。お湯が上がりきったものの全体をさっと切るように軽くかき混ぜた。
それから後ろに向き直ると、またキスをされるのかと顔を赤く緊張させたアーサーに俺は少し微笑む。
そして、唇を近づけた。
「あと30秒だけあるから」