レアロースト(ジャスゴル)

『アタシをちゃんと見とけよ!』

 と、変わり者のルームメイトはつい先日捕まえたというトレーナーを担いで意気揚々と函館へと旅立っていった。
 生来の肢勢のせいでトレーナー探しに難航した私を尻目に、嵐のようなスピードで進む彼女。そんな彼女を少し疎ましく思ってしまう私もいる。
 だからつい少し素っ気ない態度をとってしまうこともあったので、彼女――ゴールドシップがどうして自分にああまで懐いたのかは分からない。

「はぁ……」

 見ろと言われたからには後が面倒だ。見ておいた方がいいだろう。
 自己嫌悪で重たい心をどうにか奮い立たせ、テレビの置いてある共有スペースへと向かった。

「ゴールドシップさん、今日がデビューなんだよね」
「ええ。楽しみ半分、心配半分ってところですわ」
「アンタも見に来てるのはマジ読めなかったわ」
「沈むか勝つかの0か1が読めない奴のレースってのはヒリついてやがるからな」

 ……デビュー戦だと言うのに、意外とギャラリーがいる。彼女の仲のいいウマ娘達だろうか。それとも彼女がどう走るかという好奇心からか。
 いつもの奇行で学園内では彼女を知らないものなどいない。そしてあの目立つ華やかな風貌。いやでもみんなの注目を浴びている。
 実際、テレビの画面の中ではゲート入りを待つウマ娘達が映っているが、スタイルのいい長身で芦毛のウマ娘は誰よりも目を引いた。
 タマモクロス、オグリキャップ、メジロマックイーン、ビワハヤヒデ。先輩達の活躍で以前よりも芦毛のウマ娘が出てくるようになったが、それでもまだ珍しい存在ではある。彼女はそんなこと気にもかけていないだろうが。
 実際に動いている映像で期待値も上がったらしい。実況が2番人気に推されていると高らかに言った。

――あ。

 と息を呑む。ゲートインした彼女は、今までに見たことのない表情をしていた。

 各ウマ娘がバラバラとスタートする。彼女の姿はバ群に沈んですっと下がったが、その白い背はどこにいても『アタシはここだ』とでも言うように目立つ。
 実況が先頭から走るウマ娘達の名前が読み上げる。彼女は追込か差しの作戦なのだろう。白い背は後方から3番目にいた。

「中継ってカメラが動くから、見たい娘が映らないとソワソワするよね〜」
「でももう3コーナーですわ。そろそろ――あら」

 3コーナーから4コーナーに向けて走り出したところで、先頭集団のすぐ後ろに白いウマ娘が上がってきたのがカメラの端に映った。

「わあっ」
「来た、来てるよ!」

 テレビを囲むギャラリーが沸き立つ。
 芦毛のウマ娘はスピードを上げながら4コーナーを綺麗に曲がり、直線で2番3番をさっとかわした。先に出ていたウマ娘に食らいつくように芦毛が外から急追する。
 ああ、こんな彼女の顔は、見たことがない。いつもみたいに、何かするんじゃないかと内心思っていた。なんて失礼なことを思っていたんだろう。彼女はこんなにもレースに夢中になっているのに!
 実況が1番を争うウマ娘達の名前を叫ぶ。
 ゴールの瞬間、アタマひとつ前に出ていたのは、芦毛のロングヘアだった。
 掲示板で結果を確認した彼女は満面の笑みでカメラに向かってガッツポーズする。夏の日差しを受けて、彼女の頬を伝う汗と髪の毛がきらきらと光って見える。
 とても綺麗だ、と思った。

 初めて見た彼女の走りが頭に焼き付いて。つい居ても立っても居られなくなって、走り込みをして帰ってきた時。タイミングを図ったようにスマホが鳴った。
 誰からだろうと画面に表示された名前を見た瞬間、クールダウンしていたはずの心臓が跳ねた。おずおずと通話に出る。

「もしもし……?」
『ぴすぴーす! ゴルシちゃんだよ! 見たか、アタシの活躍ッ!』

 いつもと変わらないテンションの彼女になんとなく安心する。

「はい、見ました。すごかったです」
『だろだろー?』
「もう12レースまで終わって、この後、ライブですよね? 良いんですか、私なんかに電話してて」
『私なんかもモナカもねーよ! アタシがジャスと話したくなったからかけてるだけだし!』
「そうですか……」

 そこで一瞬だけお互いに沈黙が訪れる。
 彼女がせっかく電話してきてくれてるんだ。あのドキドキを伝えるべきじゃないのか?
 勇気を出して話かけようとする。と、彼女も何か話しかけようとしていたらしい。

「あの」
『あのさ』

 と、声が重なる。そのぎこちなさは、はた、と私を冷静にさせた。
 わ、私はなんて恥ずかしいことを。いつもそっけなかった私が急に興奮したら、彼女は冷めてしまうかもしれない。
 勇気がしゅるしゅると抜けてしまった。

「お先にどうぞ」
『なんだよー。話したいことがあったなら言えよ』
「いえ、私はすでに伝えたことの繰り返しになってしまうので」

 さらりと返すが、相手はもっと上手だった。

『なるほどな。それって、アタシがすごかったって話だろ?』

 電話の向こうの声が明るく弾む。私は図星をつかれて、私は赤くなった。
 カメラをつけていなくて、本当によかった。

「……ええ、まあ、そうです」
『ゴルシちゃん感激ー! もーなんだよー。そうならそうと、もっと褒め称えてくれたって良いのにー! ゴルシちゃんに見惚れちゃった?』
「そう。そうですよ? 正直ワクワクドキドキしました。芦毛だから中継でも目で追いやすいし、速かったし、目立ってました」
『よっしゃあ! これからも誰よりも速く、誰よりも目立って見せるからな!』

 なんだ、ちゃんと伝えればよかったな。
 思っていたよりもずっと喜んだ彼女に驚きながら、恥ずかしさを誤魔化すように咳をする。

「それで、ゴールドシップさんが言いかけてたのは?」

 すると、今度は彼女の声が揺れ始めた。

『それは、そのー……あれだ』
「何ですか? 言いたいことは言っちゃった方が楽になりますよ。ゴールドシップさんが電話をかけて来たんです。何か言いたいことがあったんでしょう?」

 いつも自分のペースを押し出す彼女が私のペースに乱されたのが、なんだか意外で。つい追い打ちをかけてしまう。
 彼女はバツが悪そうな声を出した。

『うー、意地悪〜。ちょいちょい感じてたけど、ジャスってそういうタイプだよな。アタシには隠してるみたいだけど』
「それで、どうして電話を?」

 そう言いながら堪えきれなくなってついつい笑うと、彼女も吹き出すように笑った。

『はあ……今回はアタマ差だったけど、追い上げてももっと突き離せるって最後の直線では思ったんだよ』
「それは、まあ、かなり傲慢ですね」

 確かにレースではたまに『勝てる』という確信が湧いてくることはあるが、何馬身離せるかなんて考えたことはない。コースレコードで勝っている上でのその傲慢さは、ゴールドシップというウマ娘らしいというか。
 それでも彼女にも思い描いた自分の姿があったと私に言ったのに驚く。そして、そういうことを誰かに言うイメージがなかったからだ。
 しかし、私は次の言葉にもっと驚かされる。

『だって、ジャスなら、もっと何バ身もぶっちぎれただろうなーって』
「ええ? わ、私ですか?」
『オメーの末脚ってエクスプロージョンッ! って感じだもんな』

 末脚に爆発力がある、とは確かに前にトレーナーさんにも言われたことがある。
 私は自分のことばかりで、彼女のレースで走る姿をちゃんと見たのは今日だと言うのに。彼女は、トレーナーさんと同じくらい私を見てくれていたのか。そう思うと何だか体がぽかぽかしてくる。

『ジャスのデビュー戦の新潟、かなり目立つと思うからアタシも楽しみだぜ』
「そうですか? ゴールドシップさんは芦毛でかなり目立ってましたけど、鹿毛の娘は多いですし」
『そうじゃねーよ。オメー、ジャスタウェイエアプか? 間違いなくぶっちぎるだろ!』

 自分自身をエアプと言われても。でも、あんな走りをしたウマ娘に自分が評価されて期待されているのは嬉しく思っても良いだろう。
 あの末脚があればアタシも皐月だろうが菊だろうがぶっちぎるなどと言っているのは褒めすぎだとは思うが。

「でも、ゴールドシップさんにそこまで言われたら、私もカッコいいところ見せないといけませんね」
『そうそう、オマエにはオマエだけの道を駆け抜けて欲しいんだよ』
「ゴールドシップさん……」

 ジャスタウェイという名前とかけたのだろう。しかし、突っ込まざるをえない。

「良いこと風にまとめましたけど、それって今からライブで歌う曲のもじりですよね?」
『そこに気がつくとは、さすがジャス!』

 もう、そんなんだから、どこまで信じていいか分からなくなるのだ。でも、今の電話で言われたことは、彼女の言葉は、心から信じたくなった。

『あ、やべ。トレピッピがリハーサルとか言ってるわ』
「頑張ってくださいね」
『おう! ライブまでちゃんとアタシのこと見とけよな!』

 突然かかってきた電話は、慌ただしく切られた。
 静かになった部屋でため息をつく。彼女が部屋にいないと、こんなにひっそりとする。つい見渡して、ルームメイトのことを思った。

「せっかくだから、ダンスの自主練もしとこうかな」

 誰に言うでもなく、一人呟く。
 そういえば、走ってきたままのジャージでずっと話していたのだった。
 彼女のペースに引っ張られてるのは癪だが、あの雰囲気なら私のデビュー戦は彼女は必ず見てくれるだろう。そう思うと、無様な格好は見せられない。
 目をそっと閉じると、彼女の勝った時の笑顔やスピードに揺れる長い芦毛の髪が浮かぶ。
 もうあの姿が焼き付いて離れない。

「ライブはどうなるのかなー。まさかライブでも焚き付けられたりして……なんて」

 なんて、そんな予感を回避出来ず、彼女のライブを観て、彼女を意識し始めてしまう私を私はまだ知らない。
 そして北海道から帰ってきた彼女と目を合わせられなくなって嬉しそうに揶揄われるのも、彼女のことを『シップ』と呼ぶようになるのも。当然知る由は無かった。