あの子は怖い(狂聡)

「狂児」

「はい」

 

組長が咥えた煙草の端に、間髪入れず火をつける。

灰が浮かび、葉っぱが赤く燃える。肺の底にまで届くくらい深い呼吸音の後、細く白い煙がゆっくりと吐き出された。

俺は次に来る言葉を待つ。何を言われるかは分かっていた。

 

「あの子のこと、どないするん?」

 

聡実くん。俺のカラオケの先生。

こんなヤクザ者にも懐いてしまうような中学生。俺が死んだと思ってヤクザの組総出の宴会に飛び込んできてしまうような子。俺のために大事な合唱祭もすっぽかしてしまうような子。

聡実くんの意思以前に、そんな怖い危うい子を俺がこれからどう扱うかっちゅう選択を組長は投げかけてくる。

イロにするのか、舎弟にするのか。

カタギのままずるずると付き合うなんて甘い選択肢はない。

 

「もう会いません」

「さよか」

 

組長は抑揚なく返事をした。これでこの話は終い。俺の答えはもう分かっていたのだろう。

聡実くんは15歳。歯車が狂うんにしては、早すぎる。俺のようにイカつい名前じゃなく、運命が引っ張られるタイミングを心配する必要のない『聡実』なんちゅう名前の子の歯車は、こんなところで掛け違ってはいけない。

長細い手足に生っ白い顔。真面目そうに結ばれた口に眼鏡の下の子供らしい大きな瞳。合唱部の部長なんてやるような子。世の中の汚いことなんてまだなんも知らない。立ち振る舞いから大事に愛されて育ってきたのが分かる。性病なんかはいざ知らず、今まで抱いたり抱かれたりした相手やその行為や交わした体液を考えなくていい綺麗な子供。

そんな聡実くんが俺に懐いて俺のために泣いたのは嬉しかった。

が、切り落とした指に怯え、シャブ漬けキメセクの危機も分からない綺麗な子は、俺のようなのと居れば、もう元には戻れない。選択肢がなくなってしまう。

組長は短くなった煙草を吸いきり、灰皿に押し付けた。

 

「で、何を彫るんか腹決めたか?」

「えっ何で俺が……」

「アホ。お前だけ歌っとらんかったやんけ」

 

そういえばそうだった。

彼のあのすり潰すような渾身の歌の後に、俺はどうしても同じ曲なんか歌えなかった。歌ったとしても、綺麗な彼のようには響かなかっただろう。それだけ、聡実くんがあの時歌った『紅』は美しかった。

俺との練習では一度も歌ってくれずにいつもチャーハンなんか食べてた癖に、聡実くんはやっぱりめちゃくちゃ上手かったなあ。こんな俺のために大事な声枯らしてアホやなあとは思ったけど。俺のこと好きなんやな、と。嬉しかった。

 

「なんぞ怖いもんでもええ」

 

あんたの彫りの腕が怖いっつーの。

しかし、いつか会った時、何て墨入れてたら聡実くんなら笑ってくれるんやろか。

――狂児さんが好きなやつを嫌いやと言ってみたらどうですか?

 

「組長、字はいけますか?」

「うん?」

「聡実、でお願いします。願掛けですわ」

 

俺がにこにこというと、組長は顔をちょっと顰めた後、にやっと笑った。

 

「ああ、あの子はこわいな。この女殺しがコロッと落ちよったわ」