ニューヨークという喧騒が収まらない街も、午前3時ともなるとまどろみはじめたようだった。郊外を走れば、ネオンの明かりは収まって、月がまぶしいくらいに光っている。
いつもは流行のロック曲を流している局も、深夜とあって落ち着いたバラードやジャズばかり選んでいる。そのせいか、パトロールを始めてからというもの、いつもはおしゃべりな通信兵も今夜は一言も喋らなかった。
ニューヨークの臨時基地にこのブロードキャストと派遣されてから、かなり気心は知れてきたから沈黙も息苦しいわけじゃない。パーティーばかりじゃ疲れるから、こういうまったりとした夜があってもいい。しかし。
――なんか、機嫌悪そうなんだよなあ。
ブロードキャストは乗り込んだ時にラジカセになったままで、その表情は分からない。
何か今日の戦いで嫌なことでもあったのだろうか。今日はまたサイバトロンの勝利だったし、デストロンの新兵器の計画はくじかれた。しいて何かあったと言えば、デストロンの情報参謀サウンドウェーブの頭に新兵器のビームが暴発してあのマスクとバイザーが弾け飛んだくらいだ。あの時、サウンドウェーブと対峙していたのは、ブロードキャストだったはず。決着がまた先延ばしになったのを残念がっているのだろうか。でも、そんなことは茶飯事じゃあないか。
ブレインの演算を巡らしていると突然、ため息が切ないバラードの音楽に混じる。
そうして、ブロードキャストがやっと口を開いた。
「何でトラックスはサイバトロンについたの?」
ブロードキャストに尋ねられそうな質問リストには入ってもいなかった言葉に驚く。質問をしてくるくらい俺に興味を持ってくれるのは嬉しいけどね。
「いきなりなんだい? どうして、って。俺は連中のやり方に賛同できないし――」
そう言いかける俺に、ブロードキャストはううんと唸った。
「いや、エアーボットの連中が最近急に協力的になっただろ。あいつら前は飛べるからって理由でデストロンに甘かった。おたくも飛べるだろ。なら、何でかなあって思ってさ」
同じく飛べるホイルジャックやダイノボットがサイバトロンについているのには気にならないのか? それとも、俺だけの理由を聞いているのか。
こういう少し議論になるような会話が出来るくらい懐いてくれた、信頼してくれるようになった、というのは純粋に快くはある。
「難しい質問をするね。そうだな……俺のコバルトブルーのボディと白の射し色に、サイバトロンの赤いマークが映えるからかな。濃い青地に紫なんてぞっとするね」
「青地に紫?」
それにしても、どれだけシリアスなのか計りかねる。そこで、思いついたままの適当な理由を述べると、ブロードキャストは戸惑うような声を上げた。
なかなか真面目な質問だったらしい。
すぐに冗談だと言い直し、つけていたラジオの音量を少し絞る。
「冗談?」
「冗談冗談。でも、飛べるにしろ飛べないにしろ、デストロンとは水が合わないのは確かだよ。やり方にしたってコンボイ司令官みたいに各自に自主的にやらせてくれるわけじゃ無さそうだし。野蛮だし、俺の仲間だって昔あいつらに――まあ、色々因縁があるのさ」
「因縁、ね」
これはだいたい本当の理由。でも、こればかりは全ては話すつもりはない。いくら俺が君を『気に入って』いるとしてもね。
ブロードキャストは興味を高めたようだが、切り上げることにする。
「それに、さ」
「それに?」
「飛べるって言ったって、俺のような美しいボンネットをやつら持っていないだろう? 自動車のフォルムというものは、まったくもって美の完成形だよ。その点、やつらにはセンスというものが無いね!」
引きつけてから、誤魔化す。
ブロードキャストは俺の答えにすこし呆気に取られたようだった。それでもその後すぐ、小さくため息をついて、クスクスと笑いだす。俺もその笑いにつられて少しにやけた。
「オレっち、トラックスのそういう自信家なところ好きだよ。見てて羨ましくなる」
「ありがとう」
全く、この人懐っこい若い戦士は簡単に好きだと言ってくれる。しかし、俺の欲しい意味での『好き』ではない。
「――でも、自信なんかいつもあるわけじゃ無いさ」
「へえ、意外だな」
意外も何も。君を気になりだしてから今みたいなことがよくあるからね。
……なんてことは絶対言えない。俺という機体のスペックや戦闘能力、ビークルモードのフォルムには自信はあるがね。性格だってそこまで悪くないはずだ。
しかし、そういった自信がひどくぶれる。
それが恋というものならば、しかたがないのだけれど。俺でさえ、たまに少し怖くなるよ。
「マジな話、いつも自信がある奴なんていないんじゃないのか? 俺だって、ブロードキャスト、君ほど若くないからね」
褒めた意味で言ったのに、そう言われたブロードキャストは少しむっとしたようだった。
「もしかしてオレ、馬鹿にされてる?」
「いや、単純にお前ほど元気じゃないってだけさ。俺もお前のいつもの元気いっぱいなところ、好きだよ。意外と真面目なところも、情が深いところもさ」
こうやって好意を直接示しても、
「あらら、照れますね」
と笑って軽く受け取られてしまう。
こんな風にかわされてしまったら、誰だって自信を失くすんじゃあないのか?
でも、今のところはこのままでいい。ブロードキャストが誰かにお熱ということもないんだ。
年若い君が、いろんな世界を喧しく--いや賑やかに見て回って、『結局、トラックスより格好いいやつはいない』と最後にいってくれればいい。
「とにかく、いくら同じ機能を持ってたって、どんなに見た目が似ていたって、そいつらの性格とか主義主張が全く違うなら、そいつらは別個人だし、結局仲間にはならないと俺は思うよ。同じ名前の奴だって、歴史を紐解けばごまんといる。トランスフォーマーだって色んな奴が居るんだ。広い宇宙なら、同じ機能を持ってるくらいじゃ腐る程いるさ」
「……そこで、同じ見た目って言わないところがトラックスだよね。『俺以上にかっこいいトランスフォーマーはいないだろ』っていうかさ」
「ま、そういうこと」
自信たっぷりに言うと、ブロードキャストが噴き出した。それにつられて、俺も笑う。やっと、いつもの笑い方になった。
「で、ブロードキャスト。君の理由は?」
「え?」
ひとしきり笑った後、ブロードキャストに逆質問を投げかけると、ぎょっとした声を上げられた。まさか自分が尋ねられるとは思っていなかったらしい。
「なんか、自分で気になってることがあるんだろ?」
「うーん……まあ、あるにはあるんだけど」
またブロードキャストの歯切れが悪くなる。
俺には話せないことなのか。そう思うと、深追いしたくなる。
「おいおい、ひとには聞いといて。自分のは秘密だっていうのか?」
少しいじわるく尋ねると、ブロードキャストはちょっと困ったように呻いた後、気まずそうに話し出した。
「トラックスって、オレが作られた理由とか知ってる?」
――俺は、かなり、大きな問題を掘り当ててしまったらしい。
ブロードキャストの話すトーンに驚き、急ブレーキをかけそうになる。
「ああ、あのデストロンの情報参謀に対抗するためだからだろう?」
なるほど。先ほどの青に紫の色合いにブロードキャストが動揺したのは、あのサウンドウェーブの色を的確に挙げてしまったからか。
平静を装うが、ブロードキャストはちゃんと見抜いたらしく、自嘲気味に笑った。
「そんなに言葉を選ばなくってもいいって。あのサウンドシステムのくせに火器でばっかり戦うサウンドシステムの面汚しを倒すために、いわばあいつのコピーとして作られたってのは本当なんだから」
コピー、コピーか。俺はブロードキャストをそんな風に思ったことはなかったが、本人はそうではなかったらしい。
あまりに核心に迫る話題なだけに、言葉選びに慎重になってしまう。ブロードキャストは黙っている俺を気にもとめていないようだ。自分をわざと卑下するような言葉を次々に放つ。一度話すと決めてしまったから、すべてを吐き切ろうとしているようにも感じられた。
「でも、コピーって言ったって。オレには逆立ちしたって出来ないこともあいつはやったりするんだ。今日だって簡単にブレインスキャンしやがって。能力の見せびらかしみたいにさ。『オリジナルに勝てないノハ、当たり前ダロウ』だって。あの野郎、オレの存在意義も知っていやがるのよ。頭にくるっての」
「……ブロードキャスト」
やっと絞り出したのは、名前だけだった。
そんな言葉をわざわざ言わなくていい。君はそんなことない。君は素晴らしい。そう言いたいのだが、ブレインで留まるばかりだ。
「でも『面汚し』なんて呼んでたけど、あのマスクとバイザー吹っ飛んだら意外と美人だったよねアイツ」
今日の戦いを思い出したような遠い目をして、ブロードキャストが明るい声を上げる。
「あー良かった。アイツと顔似てなくて。いや、だからってオレがブサイクって訳じゃないよ? ただ、似て……なかったん、だ」
その明るさは、話すうちに消え失せて。発される音声は尻つぼむように、だんだんと震えていった。
なんとなく、彼が泣き出しそうになっているんだと思った。
「似て、いなかったんだ……」
「ブロードキャスト」
何も言葉をかけてあげられない代わりに、優しく、優しく、その名前を呼ぶ。ブロードキャストは震える声をどうにか止めようとしている。その強がりが、なぜだかひどく愛おしい。
「あ、ああ。ごめん。なんていうか、安心したん……だと思う」
「君がアイツと似てなくってかい?」
出来るだけ、ゆっくりと、言葉を繋げる。ブロードキャストの心を引きせるように。非常に繊細なやりとりだとは思う。しかし、俺は彼の胸中に同情しながらもブロードキャストを知れたことに胸が高鳴っていた。意中の人が苦しんでいると言うのに、全く変な気持ちだ。
「うん。まあ、オレのオリジナルみたいなもんだからね」
「しかし――」
「うん。オレはアイツと違うって分かっててもさ。デストロンの情報参謀の情報を元に、って。オレはサイバトロンだけどさ……どこか似ているところがあるんじゃないかって」
ああ、だから俺にあんな質問をしたのか。
俺はブロードキャストにサイバトロンの精神を感じる。君は他者に共感出来る。お調子者だというやつもいるが、それは自分以外とうまく付き合っていけるというほめられるべき美点だ。
しかし、サイバトロンにいるべきか否かについて答えるべきなのは俺じゃない。その質問をするべき相手は俺じゃない。するならば、コンボイ司令官に尋ねるべきだし、答を出すべきなのはブロードキャスト自身だ。
言葉を繋げない俺に不信を表さないのを見る限り、ブロードキャストもそれは分かっているようなのだが。むしろ自分をサイバトロン側と自分で認識しているが故に、他の機体がどう思っているのかが気になるんだろう。
それでも、ああ、なんて愛おしいのだろう。
庇護欲が掻き立てられる。このタイミングで言い出すのは、ずるいのだろうけれど、俺はその気持ちを抑えられそうになかった。
最小まで絞っていたラジオの音量をついに消す。
静かになった車内で、俺はゆっくりと真っ向から口説き始めた。
「ブロードキャスト。君は俺が美しいものが好きだってのは知ってるだろう?」
「あ、ああ。そうね?」
突然、俺が切り出した意見に、ブロードキャストは驚いたようだった。
そりゃそうだ。今この瞬間に愛を囁こうなんて場違いにもほどがある。
「だから俺は、俺の美しいと思うもの以外は傍に置かないことにしているんだ」
「だから?」
ブロードキャストはまだブレインの処理が追いついていないようだ。俺はそれを笑う。
「俺は、君は美しいと思う。俺は君がサイバトロンであってくれて、嬉しいよ」
「なっ!?」
「アイツよりずっとね。それに、オレンジは青の捕色だよ。君の赤橙は俺の機体にばっちし合う」
畳み掛けるように言葉をふりかける。
「見た目だけじゃない。さっきも言ったろう? 君の性格も俺は美しいと思っているよ」
ここまで言って、やっとブロードキャストは理解が追いついたようだ。彼の機熱がぐっと上がっているのが、シート越しにわかった。
ブロードキャストは唖然としながら何かを発声しようとしているようだが、ラジカセのスピーカーからは何の音も出ない。
少し、踏み込み過ぎたか。
「――なんてね」
今度は、冗談めかして颯爽と笑ってみせる。
「冗談、冗談」
狼狽えたまま、俺の言葉を彼が反復する。
「じょ、冗談?」
ふふ、と笑ってみせると、やっと彼も落ち着いたらしい。自分がからかわれたのだと思って安心したようなのが見て取れる。
何だ。そう安心されちゃつまらない。
「っていうのが、冗談」
「えっ?」
それにまたブロードキャストは混乱したようだった。
俺は思わず、大きな声を出して笑ってしまった。
「結構、好き好き光線出してたと思ってたんだけどね」
「……なにそれ」
下げていたラジオの音量をまた元に戻すと、ちょうど恋を歌ったラブソングが始まったばかりだった。
わざとらしいくらいに、なんてタイミングだ。あまりにムーディ過ぎる。
「あーまあ、この曲、いい歌だよな」
思わず、口走って自分で笑ってしまった。
いまいち決まり切らなかったのが、少しマヌケだ。その音楽の向こうでブロードキャストが噴き出したらしいのが分かった。
「つまり、君は俺にとってこの宇宙で一体だけ、ってことさ」
ラジオから流れる音楽でこの言葉が彼に届いたかは、分からない。
ブロードキャストはぶつぶつと何かを呟いている。
それでも、何となく、彼が笑っている気がした。だから、
「オレっちも好きだなあ……えーと、この曲」
微かにそう言ったのが聞こえたのは俺の聞き間違いじゃあないと思った。