紫坂青年異聞奇譚1 - 1/3

英語には、“reveal”という単語があるんだ。

――彼はふと、そんなことを言った。

古フランス語の“reveler”から加えられた言葉で、ラテン語の“revelare”に由来する。『反対に』を表す接頭辞“re-”が『ベール(velum)をかける』の意味の”velare”に付くことで『ベールを剥がす』『隠れていたものを露わにする』と言う言葉となり、そこから『暴露する』という意味を持つようになったんだ。ちなみに、ラテン語で『真実』を表す語は”velum”と一文字違いの”verum”だ。
面白いだろ?
オレみたいな大スクープを狙うジャーナリストからは切り離せない言葉だ。だから、衣脱ぎ朔日のあの日、オレたちがあの村へ行ったのは、きっとそういう……

――ひどくひどく優しげな調子でつらつらと喋っていた声はそこで途切れた。それをおれたちの『運命』だったと言って片付けるには彼は、いやおれたちは、当事者過ぎた。
――雨の中を進む電車の窓から外を覗くと、空にはあの日のようにどんよりとした黒雲のベールがかかっていた。
 
 
 
 
  
 
クワハラまで、お願いします。

すぶ濡れの体を滑り込ませたタクシーのリアシートの奥、弾む息で途切れ途切れなおれの声は運転手にはよく聞こえなかったらしい。返事らしい返事ではなく、聞き返すような間抜けな声が聞こえてきた。

「……くわはら、です。あれ、読み方違います?ひさかずばら?くわばら?」

久しい和の原っぱ。久和原。頭の中で字面しか知らない地名の漢字を思い浮かべながら、でたらめに読み上げる。
バックミラー越しにこちらを見ていたタクシーの運転手は、そこでやっと振り返って少し笑ってみせた。中年期を過ぎて老年期に差し掛かったくらいだろうか。日に焼けた顔。接客業らしい人懐っこい笑みから覗く歯はヤニに染まっていた。

「久和原、ね。最初のであってるよ。でも、もう少し詳しい場所とか分かります?」

若干訛りのあるくだけた口調に少し安心感を抱く。
住所の紙を持っているのは唐次さんだ。助手席側に座った唐次さんを見ると、ちょうど濡れた手でジャケットのポケットを探っているところだった。
流石に手土産の入った袋は死守したが、二人とも濡れ鼠だ。メモが出てくるのを待っている間にも、髪の毛の先からポタポタとぬるい滴が落ちてくる。これではカバンの中がどうなっていることやらと憂鬱だ。礼を欠くかもと最後まで迷ったが、やはり喪服で来なくて正解だった。髪をかき上げながらそう思う。
やっと取り出されたメモは、雨水でよれて端が破けていた。

「シートを濡らしてしまって、申し訳ない」
「いや、大丈夫大丈夫。今日はお兄さんたちで上がりだから。あ、よかったら、これ使って」

運転手は助手席のグローブボックスを開けると、こちらに袋入りの手ぬぐいを2つ渡してくる。

「お、ありがとうございます」
「どうも……」

『本町タクシー』と社名入りの手ぬぐい。広告も兼ねた贈答用だろう。
早速ビニールを破いて手ぬぐいを取り出している間に、車はゆっくりと動き出した。

「いやあ、ひどいめにあったな」
「ほんとにね」

髪を乾かす片手間に荷物からメモ帳を取り出し、これ以上濡れないようにシートの間に避難させる。唐次さんも同じことを考えたのであろう。そこにはすでに――彼の言葉を借りるところの『相棒』――ボイスレコーダーがスポーツタオルに包まれて保護してあった。
六月も下旬だが、まだ梅雨寒とでもいうのだろうか。ひどく寒い。大きく身震いすると、運転手は気づいたのかクーラーを弱めてくれた。

「お兄さんら、ここらのひとじゃあないね。この時期だと大体この昼過ぎの時間にざあっと激しいのが降るから、傘は持ち歩いた方がいいよ」

こういう前提知識がないから、慣れない土地というのは苦労するのだ。これから三日は逗留することになるのだから、もし久和原で傘が買えるようならば買っておこうと心に留める。
しかし、同時に、商店があるという期待はどうも出来なさそうだとも思う。先程降りた駅には駅によくある土産物などを扱う売店すら無かったし、窓の外の景色はどんどん草深くなってきている。このタクシーが拾えたのは、思っていたよりも幸運なのかもしれない。
……田舎だ田舎だとは聞いていたが、想像以上だ。
タクシーに乗っている時間が長くなるほど不安になってきたおれとは対照的に、眼鏡についた水滴を拭く唐次さんはフッと笑う。

「でもオレたちみたいなのが居るから、タクシーは稼ぎ時じゃないのか?」

唐次さんの言葉に運転手が大声で笑った。

「いやいや、おかげさまで。まあ、実際そうなんだけどね。もしまた雨に降られた時は、是非また本町タクシーをご利用ください、なんて」
「こちらこそ、その時は……あ、渡辺さんは中村出身なんだな」

急に飛び出した運転手の名前にぎょっとすると、唐次さんは助手席の後ろに貼られた掲示板をちょいちょいと指差した。
『中村町出身です。中村町ならどんな行き先でも自信あり!〜本町タクシーは安全運転を心がけ、プロのサービスをお約束します〜』と書かれたメッセージとともに運転者証の拡大コピーが貼られている。
なるほど、とおれは内心舌を巻いた。記者をしていると言うからには、タクシーを利用することが多いのかもしれない。

「オレたち、ちょっとした用で東京から来たんだ。一週間は居るし、せっかくだからここらへんを見て回ろうとは思っているんだが、なんか名物になるような美味いものとか行っておくべき場所とかあるか?」

長期滞在や観光を仄めかすキラーワードを入れ込むあたり、話す様もなんだか手慣れている。
タクシーの運転手はある意味、土地に一番詳しい職業とも言える。そして接客業であるからには、客が質問したことにはよく喋ってくれる。意外とこういうところに、スクープというものは転がっているのかもしれない。
そういえば以前、年上の人にはおれのところの雑誌の名前は出さないほうがいい、などとも言っていた。曰く、戦前のエログロナンセンスの系譜を引くカストリ雑誌から出来た出版社だから、上の世代なら不名誉に名前が知れ渡っているし、良識あるタイプなら眉をひそめるにちがいない、と。あれも実体験に基づくものなのかもしれない。
いつもは何か物珍しいものがあれば『スクープだ!』と騒ぐ姿しか知らなかったおれは、唐次さんが話す様を見ていてつい感心してしまった。
赤塚で最初に会った時も大蔵さんと一緒だったなあ。

「いやあ、久和原のあたりは、本当に桑畑くらいしか……中村のあたりはもうすこし開けてますがね。食べ物や神社仏閣に史跡なんてのも、やっぱり本町の方まで出ないとないと。どうも、ね」

乗せた客に行き先について悪く言うのはきがひけるのか、そう苦笑い気味に言うタクシーの運転手――渡辺さんはこのあたりの地域について話し始めた。

この地域は昔から養蚕が盛んで、昔はあたり一帯が桑畑だった。久和原で育てられていた蚕は特殊な種類で、量は少ないが良質な絹が取れたという。明治時代から本町に製糸工場や織物工場が建ち、その名残で戦後のガチャマン景気の時には絹織物の生産でとても景気が良かったが、今はほとんどの工場が商売を畳んでしまった。本町へ行けば、養蚕や絹織物の記念館や、織物体験の出来る場所などがある。徐福伝説があり、徐福にまつわる場所なども多い。温泉も出る。もう少し前であれば、景気が良かった時にあった赤線の名残で、綺麗なお姉さんと遊べる場所がたくさんあった。

残念だったね、と渡辺さんが冗談めいて意地悪そうに笑う。その様子から、人の出入りが多い色街がある頃は、渡辺さんも案内などをして景気が良かったのだろうというのが何となく聞いていて分かった。

「でもまあ、お兄さんらは久和原に行くんだから、そんなとこ行く必要もないわな。無事に帰ってこれるといいね」

意味深な言い方。ルームミラーに映るにやりと笑う目が目配せをしてくる。
助平な内容になっていた町案内が急に方向転換し、ぼんやりと聞いていた頭に殴られたように衝撃が走った。

「……えっ?」

無事に帰ってこれるといいね?
どういうことだ、と唐次さんと顔を見合わせる。

「久和原へ男が行くと帰れない、って昔からここいらじゃ言うんだよ」
「帰れないって……?」

絞り出せた声は緊張で少しカサついていた。
今度は渡辺さんが驚いたようだった。ひどく焦ったのが様子から見て取れる。

「ああ、別に変な意味じゃないよ!!……ええと、まいったなあ。養蚕をする土地柄、ここいらは女の多い土地だったんだけど、特に久和原は辺鄙なせいで陸の女護が島のようだったわけ。だから若い男がいくと、ね?」

ああ、なるほど。まだエロ話は繋がっていたのか。
赤塚での一件以来、どうも今まで民俗学で扱っていた時よりも更に地域のいわれや伝承というものに敏感になってしまっている。トラウマともいう。

”一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした。”

『注文の多い料理店』に入ってしまった若者のように、生々しい恐怖というものを心底味わってしまった人間の世界は、野性味などない都会へ帰っても、心は恐怖の世界に行ったまま帰られないものなのかもしれない。
それでも、ほっとしたような唐次さんの表情を盗み見、自分だけじゃないのかという点でおれは安心した。

「いやあ、急にホラーな話になったなとは思ってたよ」

立ち直ったらしい唐次さんは、努めてほがらかにそう言った。

「今は久和原じゃ過疎が進んで女性も少ないっていうから、安心してね、ね」

唐次さんの言葉に渡辺さんが重ねてそう言う。
その情報をもって何を安心しろと言うのか。
少し下がった渡辺さんへの好感度とともに、おれはまた久和原への不安が募りだす。窓の外は相変わらず土砂降りで、見上げる空は厚く険しい雲が暗い天幕を張っていた。

あんなに激しく降っていた雨は、久和原に着く頃にはもうすっかり上がっていた。

「これはなんというか、想像以上だな……」

タクシーが走り去る音に紛れ、やや放心したように唐次さんが呟いたのが聞こえた。
視界に映るのは等間隔に並んだ木々ばかりで、あとは民家らしき屋根が遠くにぽつりぽつりと見えるだけである。その屋根と屋根をつないでいる電線が見えなければ、20年30年前いや写真で見るような戦前の田舎の風景といった様相だ。おそらくこの木々たちが桑の木であろう。先ほどタクシーで聞いた『久和原には桑畑しか無い』と言う言葉は謙遜ではなく紛れもない事実だったらしい。
人生で桑という植物に今までこれほどまで囲まれた経験はない。雨上がりにしっとりと濡れた緑の間から、赤黒い実が鈴なりになっているのが見える。
濃い緑の中の空気を大きく吸い込みつつ、おれはこれが彼の故郷なのかとしみじみと不思議に思った。
――さらさらした長めの髪をした端正な顔立ちの青年。
鈴木照彦という人物を簡単に説明したら、その一言で彼に会ったことのある人は納得することだろう。加えて、おれは彼に少し都会的な雰囲気を感じていたこともあり、目の前に広がる光景と彼が頭の中で全く繋がらなかった。

「なんていうか。照彦さんが休職じゃなくて、いっそ退職しようとした理由が分かる気がする」

つい口を出た言葉に、これじゃあなあと唐次さんが大きく頷いた。
おれたちが久和原へ赴くことになった一端は、唐次さんの元同僚・鈴木照彦の父が亡くなったことにあった。
照彦さんはカメラマンをやっていた唐次さんのすぐ一つ上の先輩だった。唐次さんが一人で取材に行くようになる前、つまり赤塚へ行く前、一緒に仕事していた人である。その彼が突然、父親が亡くなったので田舎に帰らなくてはならないと言って編集部に退職を申し出た。かなり歳の離れた妹がおり、母親はとうに亡くなっている。父親も居なくなった今、その妹の面倒を見られる人がおばしか居なくなってしまった。故郷が田舎故に近所の目がある。男の自分が家に戻らねばならない、と。
照彦さんの父親という人物は、編集長の松野松造の旧友であり、その縁でオカルトブームの頃に編集長の雑誌へ寄稿していた民俗学者であった。そんなわけで松野編集長としては上司としても亡くなった旧友の息子としても照彦さんの辞めた後の生活が気になっているらしい。
未だ編集長がおれやおれたちの父親だと言うのは信じ難くはあるが、照彦さんは唐次さんにとって、元同僚であり、奇しくもかつての寄稿者で父親の旧友なる人物の息子と言うことになる。そこで松野編集長の弔問の代役として、唐次さんに白羽の矢が立ったのだ。
一方、何故おれが同伴することになったかというと、照彦さんの父親が民俗学者であったということと元寄稿者であったことにある。赤塚の一件で編集部に連れられて以来、おれは民俗学的な知識を買われて時たま小遣い稼ぎに寄稿の真似事や唐次さんの代筆をしてきた。照彦さんとも既知の関係である。それで、唐次さんが訪問の予定を連絡をした時、蔵書の整理や原稿の売却の相談ためにおれの名前が上がったのだ。照彦さん曰く、処分に困るほどの蔵書があり、原稿らしきものも多く遺されているとのことだった。おれとしても、編集部の資料室に入らせてもらった時に照彦さんの父親が書いたという記事や寄稿文を読んで興味を持っていたのもあり、その人の原稿や蔵書を読めるというのは願ってもない機会だった。
照彦さんはおれたちにぜひゆっくり逗留してくれと言ってくれたので、唐次さんは仕事を水曜日から休むと堂々と申請していた。編集長も頼んだ手前、許可しないわけにはいかず。また、編集部の他の社員さんたちも照彦さんのことを心配していたのもあり、嫌味を言いつつも取材旅行のようなものだと割と快く送り出してくれたとのことだった。
おれはその話を聞いた時、さすがは記者が数日勝手に取材に行ってもクビにならない編集部だとひどく感心した。
とにかく、そんなわけでおれと唐次さんがここ久和原へ来ることになったのである。
編集長としては照彦さんが仕事を続けられるようならどうにかしてやりたいと思っていることだろう。唐次さんに至ってはその様子見も兼ねていたのだが――

「タクシーの渡辺さんも自信ないようだったが、多分あの家だろうな」
「……とりあえず、行くだけ行ってみようか」
「ここまで来たしなあ」

そう、ここまで来たのだから、少し家を探すくらいは訳が無い。
電車とタクシーで座りっぱなしで硬くなった筋肉を伸ばし、目の前の桑畑の中の踏み固められた道に入ろうとした時。
後ろからねえ、と声がかけられた。

「クワ畑には入らない方がいいよ」

訛りの入った鈴を振るような声。振り返ると、ランドセルを背負った少女が立っていた。
小学校中学年くらいだろうか。白いブラウスに紺のスカート。黄色い通学帽を被っているが、その帽子の下の白い顔は子どもというには整いすぎていて不自然なくらいだ。
いつの間にすぐ後ろに来ていたのだろう。

「ああ、勝手に入っちゃってごめんな」

唐次さんがとっさに謝り、おれもはっとする。
なるほど。見ず知らずの人間に自分の家の土地や畑に入られるのは気味が悪いのだろう。
おれももそもそと謝る。しかし、その少女は首を振った。

「クワの下にいくと、皮をはがされるから。だから入っちゃだめ」

緑深い田舎に不気味なほど美しい少女。その少女が発した不穏な言葉。
出来過ぎたに場面に面食らう。少女に話しかけようと口を開きかけていた唐次さんも肩が揺れて動揺したのが分かった。それでも、小学生女児に驚いているのが恥ずかしかったからか、記者根性からか、少女に疑問を投げかける。

「……それは、なぜ?」
「今日はキヌヌギツイタチだから」

唐次さんは余計に訳が分からなくなったらしい。え、と聞き返してついに黙り込む。
対照的に、当たり前なことに何で聞かれるのだろうとでも言うように少女は首を傾げた。こてんという首の動きに合わせて、おさげ髪がゆらゆらと揺れる。
キヌヌギツイタチ。聞いたことがあるような無いような。キヌヌギ朔日。

「あ。衣脱ぎ朔日、か」

知ってるのかはじめくん、とほっとしたように唐次さんがこちらを向いた。

衣脱ぎ朔日。旧暦6月1日に当たり、この日を衣替えをする日とする地域がある。衣替えの時に体も一新すると見なされたのか、人の皮が剥ける、もとい剥がされる、蛇が脱皮を行う日とされた。その現象が起こるのは桑の木の下と限定する地域もあり、そのような地域の共同体では衣脱ぎ朔日には桑の木近づいてはいけないというタブーが存在した。養蚕が盛んだったというこの地域に、衣脱ぎ朔日に桑の下にいくと皮を剥がされるというタブーがあったとしても何ら不思議はない。
桑や養蚕にまつわる伝承には生き物の皮が関わってくることは多い。『遠野物語』のオシラサマには、飼い主の娘と夫婦になった馬が怒り狂った父親に木に吊るされて殺される。この話型には馬は殺される時に皮を剥がされ、娘はその皮に包まれて空へ登ると言うパターンがある。また、そのオシラサマの起源とも言われる中国の『捜神記』や蚕女の伝説では、娘に恋慕した馬が殺されて皮を剥がされるが、その皮が娘にぐるぐると巻きついて蚕になったとしている。
蚕は成長の過程で何度も脱皮を繰り返す。皮のイメージは、蚕の脱皮の生態を皮が巻きついているからだとした解釈から生まれたんだとおれは思ってる。
馬が関わってくる理由は、おそらくは絹馬交易という言葉が残っているように、中国では古来より絹が馬と等価に値すると考えられていたからだろう。絹と馬は同等の価値を有するものであり、よって馬の皮で蚕にかわる娘もまた対価に成り得たと考えられる。人間が動物の皮を被って姿が変わるというのは古今東西の変身譚によくあるモチーフだ。娘は馬と交換され、馬は絹に替わる。変身はその物々交換を表すのかもしれない。なんて。

――つい、軽薄にもぺらぺらと説明してしまった。気がつくと、少女がこちらを興味深げに見上げている。おれは急に恥ずかしくなって、口を閉じた。
訳わかんないやつだと思われたのだろうか。普段、積極的に人と関わることのないおれに、ましてや子どもと触れ合った経験などほとんどない。子どもの遠慮のない視線が、少し、苦手だ。こういう時、大人なら何となく察してくれるものがある。
目をそらしても、少女がこちらを見ているのが何となく分かった。先ほどから黙っている唐次さんに視線で助けを求めるが、逆に唐次さんは少女の方をじっと見つめている。まるで三竦み状態である。
こういう時、どうしたらいいんだろう。
誰もが黙りこくっている地獄のような時間の後、唐次さんが不意に思いついたような声をあげた。

「もしかして、君は鈴木照彦さんの妹さんじゃないか?」