それで十分(うにエム)

 はあはあと息が上がる。心臓は踊っているし、肺や喉は萎みきってぎゅうぎゅう痛む。うにの方を振り見ると、心配そうに覗き込んで来ていた。

「エム子ちゃん……大丈夫?」

 頑張ってはみたが、ダメそうだ。もう一言も喋ることが出来ない。首を振ると、うにがそっと体を寄せてきた。

「そりゃそうだよ、ボクはユニコーンなんだから。エム子ちゃんがいくら頑張ったって……」

 うにの潤む瞳の中には、苦しそうな顔をした私が映っている。

「エム子ちゃんの理想は叶えてあげたいけどさ」

 そりゃそうだ。ヒトとユニコーンなんだから。
 私は汗だくのまま、へたり込んだ。うにが前髪を鼻先でかき分けて、おでこにキスをしてくる。私は押し戻す元気もなく、されるがままにしておく。

「でも、こういうの、久しぶりだから楽しかったよ……で、『海辺で追いかけっこ』ごっこ、どうだった?」
「疲れた……」

 白いワンピースだけど、もういっか。
 私は夜の冷たい砂地にどさりと倒れ込んだ。
 うにと誰もいない夜の海に来てみたところ、ついテンションが上がってしまった。そこで昔の少女漫画やドラマなんかでよく見る『海辺で追いかけっこ』をうにとやってみたが、結果はこれである。
 ヒトの、ましてやインドアな私の足がユニコーンの脚にかなうわけもなく。鬼も追われる方も順番にやってみたが、慣れない砂地をサンダルで走るのは予想以上に辛かった。
 普通なんて関係ない、と、うにの番になってやることもやってると言うのに、たまに妄想や理想の『普通の恋愛』への欲求がむくむくと出てきてしまう。
 楽しかったとは言っていたけど、うにには悪いことをしたかな?
 うにの方を見ると、水平線の方へ遠い目を向けている。

「故郷のこと、考えてる?」
「あはは。懐かしくはあれど、もうあんまり恋しくはないよ。だって日本に連れて来られなかったら、エム子ちゃんに会えなかったしね」
「……そっか」

 波打ち際で砂でじゃりじゃりになったサンダルを脱ぎ、足を洗う。それをうには嬉しそうに見てきた。

「何?」
「海に白ワンピは乙女の鉄板だよね! さすがエム子ちゃん分かってる!」

 うにが上機嫌に鼻息をたてる。
 素敵な人が出来た時のためにね、と大学に入る頃に母が買ってくれたもう時代遅れのワンピース。ついに一度も着ることはなく、ずっと仕舞い込まれていたのを今日のために引っ張り出したのだ。
 素敵な人、ではないけれど、好きなひとは出来たから。

「…………」

 ずっと押入れの中で眠っていた折り畳み皺のついたワンピースのホックに手をかける。ジッパーを下げる音に気づいたうにが素っ頓狂な声を上げた。

「えっ、エム子ちゃん!? そんな、こんなところで!」

 うにがひずめで自分の顔を抑える。
 まったく、ユニコーンのくせにどういう思考回路をしてるんだか。いつまで経ってもこんな態度だし。それに、私の裸なんて。
 そこまで考えて、私は急に気持ちが萎んだ。

「……大丈夫、ほら」

 もやもやした気持ちと一緒に、脱ぎ捨てたワンピースを砂の上に落とす。
 月明かりの下、うにの瞳孔が大きく開かれるのが見えた。

「水着!」

 この水着も、いつか買ったもの。結局、うににしか着て見せなかったな。

「うにしかいないから、まあ良いかなって」
「もう、ボクにしか見せたくないなんてエム子ちゃんたら!」

 かわいいかわいい、とうにが鼻息荒く擦り寄ってくる。先ほどのモヤモヤは不思議とゆっくり解けていった。
 うには、いつでもこんな私に喜んでくれる。誰も欲しがってくれなかった。でも、うには違った。

「僕の背中にお乗りよ。沖まで連れてってあげる」
「え、いいよ。前にたてがみが海水で痛むの嫌だって言ってたじゃん」

 うにが馬体を下げる。

「気にしないで。さあ乗ってよ」

 おずおずとうにの背中またがると、暗い海へとうには迷うことなく飛び込んだ。

「わっ」

 夏の夜の海は、思ったよりは冷たくない。ただ、抱きついているうにの首だけが温かい。うにの自慢のたてがみは海水の中でさらさらと踊るようになびく。少しくすぐったい。

「エム子ちゃん、大丈夫?」
「うん」

 底が見えない真っ暗な水の中にいるというのに、怖くない。うににくっついているからだろうか?
 浜辺から離れて、周りには何もない。月だけがぽっかりと空に浮かんでいて、世界にたったふたりだけになったような気分になる。

「背に乗って沖まで泳ぐなんて、人間の男じゃなかなか出来ないでしょ?」
「うん」
「えへへ、惚れ直した?」

 うにが振り向きざまに笑う。
 私はその首にぎゅっと抱きついた。

「うん」

 うには、私のために色々してくれるし、私が何を着ても喜んで、何をしても受け入れてくれる。街でデートしたり、友達や両親に紹介したり、の『普通の恋愛』は出来ないけれど、うにが私を好きなのは本当なんだといつでも思える。
 たてがみを触ると、水に揺らぐ見た目に反してきしきしとした手応えを感じた。

「うに、帰ったらお風呂に入らなきゃね」
「うん」

 うにが嬉しそうに笑う。
 それがとてもかわいいな、と私は思った。