全てのさみしい生き物たちへ(臨静)

―甘楽さんが入室されました―
≪どもー甘楽でっす!≫
【こんばんわー】
[ばんわー]
≪あ、知ってます?≫
≪またなんか人攫いみたいのがあったらしいんですよー!≫
【初めて聞きましたが物騒ですね】
[前にもそんな話ありましたね]
[宇宙人がキャトってるって思うくらいの頻度で…いや宇宙人が怖いとかそんなんではなく]
≪えー、でもぉ!今回は本当に宇宙人かもしれないんですよ!≫
[???]
【え…どういうことです?】

≪いや、今回失踪したのが、≫
≪あの平和島静雄なんですから!≫

【!?】
[それって本当ですか?]
≪いや、私も聞いた話なんですけど≫
≪なんか昨日の夕方から見つからないそうで、今日は平和島静雄のことを池袋で見ていないそうですよー≫
≪誰も、ね≫
[…ちょっと用事が出来たので今日はもう落ちます]
―セットンさんが退室されました―

内緒モード【臨也さん、それってどういうことですか!】
内緒モード【もしかして、貴方が一枚噛んでるとか……】
内緒モード【もしもーし!】

―甘楽さんが退室されました―

内緒モード【…………】

―田中太郎さんが退室されました―

―現在、チャットルームには誰もいません―
―現在、チャットルームには誰もいません―
―現在、チャットルームには誰もいません―
―現在、チャットルームには誰もいません―
―現在、チャットルームには誰もいません―
 
 
 
その部屋唯一の光源――青い画面を独占しながら、その男は端麗な顔を歪めてにやりと笑った。いやな表現ではあるが、その笑顔には嫌みはなく満足げな様子が浮かんでいた。

「君も大概、鋭いよねー」

なんかシズちゃんみたいだね、危機回避能力みたいなやつ。チャットルームから退室すると、回転椅子をくるりと回し、床の上に降り立った。

「ねぇ、シズちゃん」

ベッドに近づくと、瞬時に俺をセンサー察知した照明が着く。ほの暗いオレンジ色のライトに、筋肉質な男の体としては細身な影が浮かび上がった。
最初に投与した薬がまだ効いているらしいのだが、力強い双眸は暗闇から、きりりとこちらを睨んでいる。その目に恐怖の色はない。ただ俺への殺意というものだけで、その意識を保っているらしい。

「折…原、臨也」
「なに?シズちゃん、どうしたの?」

あぁ、笑顔がこぼれそうになる。大嫌いで大嫌いでしょうがないこの俺に、こんな状況に押し込まれてとってもとっても悔しいんだろうね。ねぇ、シズちゃん。俺は力ではシズちゃんに勝てそうになかったから、俺の『力』を使わせてもらったんだけど。あんたがムカつくくらい真っ直ぐで単純で良かったよ。だからムカつくんだけどさ。
だってシズちゃんは汚れないんだもの。俺と違って。俺はそれがいやでいやで仕方がないんだけど。
だから俺はあんたが大嫌いなんだ。

***

靴を外し、靴下を剥ぐと、その爪先に唇をおとした。シズちゃんが目をむいてこちらを見ているのが分かる。健全な彼の目には俺が変態か異常者のように映るのだろう。それを当たり前に無視し、指の間を舌でなぞり始めてみる。

「臨也、手前…胸くそわるいマネすんじゃねぇ」
「…感覚のほうの神経もちゃんと機能してるんだ。くすぐったい?」

気持ち、いつもより語勢が弱い。足元から眺める体には変化はないが、動かせないらしい。反抗的な言葉や表情に、屈服させて言うことを訊かせたいという征服欲が掻き立てられる。
面白いよシズちゃん。あんたは俺が見てきたくだらない人間達とは違って。
シズちゃんの上に跨って、蝶ネクタイを力任せに引っ張った。もちろん、蝶ネクタイには俺の引っ張る力にもシズちゃんの頑丈な体の耐久性にも勝てるものはない。あっけなく音を立てて千切れた。
シズちゃんの眉根がきっと険しくなる。たしかシズちゃんの象徴にもなっているその黒いユニフォームは、その弟が与えたものだった。
シズちゃんが感情を割くものに、狂ったように嫉妬が沸き出づる。その白いワイシャツもベストもズボンもベルトも何もかも、切り裂いてしまおう――そこまで考えた後で、俺はふとポケットの中でナイフの刃を折り畳んだ。
でもグチャグチャの感情のままシズちゃんを犯しても面白いかもしれない。
シズちゃんがキレていることに対しての罪悪感は、全くなかった。
シズちゃんの御希望通りベストを――今度は丁寧に、脱がせてやる。一枚一枚剥いだものもベッドの周りに投げ捨てる。下着だけを残してシズちゃんを見つめると、目があった途端にまるで『いつものように』怒声を投げつけられた。

「殺す!」

俺はそれが面白くて大声を出して笑ってしまった。

:::

殺す!臨也殺す殺す殺す!殺す殺す殺す殺殺す殺す殺すす殺す手前殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!

拉致られたときに使われた薬であまり声が出ない。その代わりに内面では臨也へのあふれんばかりの殺意で頭がまさに沸騰寸前であった。
いつもなら怒りを抑えよう押さえつけようと自分なりに奮起しているが、唯一その殺意を向けている相手に怒りを抑えられているのが彼を最も苛々とさせた。無論、弟から貰ったバーテン服の蝶ネクタイを毟り取られたことや、今の状況。また殺してやりたい相手から変態的な行動を受けていることなど。彼が『プッツン』するのに充分な要素はいくらでも揃っている。
しかしいくら目の前に跨る男を殺したくても、体が全く動かなかった。それが分かっているのか。折原臨也は笑い声を止めることをしなかった。

「『殺す』って。今の状況分かって言ってる?」

まさかと思うけど。睨みつけている臨也が顔を歪める。

「おおこわいこわい。まぁ、そんな恐い顔しないでよ。シズちゃんの言いたいことは分かるからさ…では学のないシズちゃんに分かりやすいヒントをあげよう」

ヒント1、俺はたまに海外にも情報を売ったりしています
ヒント2、俺はシズちゃんが大嫌いです
ヒント3、海外の有名な大手企業の製薬の部とこの間取引しました

「つまるところ、俺はシズちゃんが大嫌いで。今からあんたにとってもイヤらしくてヒドいことをするってことかな」

***

『つまるところ、俺はシズちゃんが大嫌いで。今からあんたにとってもイヤらしくてヒドいことをするってことかな』

俺の勝利宣言に対して、シズちゃんがひどく動揺し始めたのが分かった。とってもイヤらしくてヒドいこと、というものの答えにたどり着いたからだろう。あの鋭い目が初めて揺らいでいる。
平和島静雄という存在の感情の推移を優位な立場から観察しながら、予想はしていたが少しだけ落胆するものがあった。これでは彼も、他の人間と同じになってしまう。その結果は、何故かは自分でも分からないが、とても耐えられない重要なことに思えた。
一瞬のうちにそんなことをずらずらと考えていたが、シズちゃんの方をまた注視すると――軽蔑に、殺意に、困惑に、疑問に染め上げられた目にサングラス越しに射抜かれて釘付けにされた。

喜びで体が震え上がる。
シズちゃんが諦めず、俺を受け入れず、俺の全てを否定したがっている。揺らいだ精神を奮い立たせ、抵抗を示す。その様子に俺は、一末の恐れと敬意に似たものを抱きながらも笑みをこぼした。
シズちゃんは自分の思っている通りには行動しない。理屈も通じない。理屈がつかない相手は嫌いだが、予想外の面白さが芽生える。
憎しみや殺意――愛の激しさに勝る感情を与えてくれる。何も自分について知らせたいとも、俺について知りたいとも思わないというシズちゃんの態度が俺は好きだった。歪んではいるが、それこそ俺のイデオロギーが唱える理想の関係だったのだ。
彼の怒りを、より増大させるように、あえて言葉を選んで話す。行動する。そのひとつが唯一肌に残しておいた下着を取り去って、こう言うことだった。

「今は俺が男でシズちゃんが女だから。シズちゃんは俺には勝てないよ」

***

見下ろすと、ノミ蟲の黒い頭が見えた。髪が甘噛みされた太股に触れて、チクチクとした刺激が気になる。 自分の顔は赤くなっているだろう。耐え難い羞恥のせいだ。頭や目の中から閉め出したいイヤらしい光景。頭を抱え込んで今の状況からすぐにでも逃れたい。
しかし、盛られた薬。それによって動かない体。いつもの力がない体。どこかも分からない場所へと攫われたこと。軟禁されていること。理由も何も分からず、大嫌いな相手からの辱めを受けていること。先ほどの台詞から伺える『イヤらしくてヒドいこと』の行為がこの後に…あるだろうということ。余裕綽々とした臨也の口振りから、もしこれらの要素が1つ抜け落ちたとしても自分は物理的にも精神的にも逃げ出すことは出来ない。
目を閉じる。自分は今からの長い時間を耐え切らなくては。瞼の中にオレンジ色に残るライトの光さえ、気持ちが悪い。吐き気がする。
殺す。すぐに殺す。殺す。
頭の中に呪詛のように殺意が響く。誰かが叫んでいるような。不純なものが全く入り込めない鋭い感情だった。

シズちゃん。

急に臨也の手が顔に触れて我に返る。何事かゆっくりと薄目を開けると、サングラスが外された。

「何で目を閉じて逃避してるの?」

眼前で歪む唇からは、爽やかすぎる声が響く。それは優しく教え諭すような――あまりに場違いなものだった。
口角は確かに上へと上がっているが、目は違う。冷酷だと形容するにはあまりにも…理解し難い不気味さを持ち合わせていた。臨也が興味を失って記憶一切を捨てられた者に対する笑みとも違う、内包する奥の見えない気持ち悪さ。
飲み込まれそうだ、と表現するのにはその言葉は陳腐過ぎた。

:::

気持ちいい?それとも恥ずかしい?
俺は嬉しいよ。大嫌いなシズちゃんが。俺の手の内に喘いでるのだから。
ちろりシズちゃんに見せつけるように、舌を降らせる。また目を瞑った。本当に嫌なんだ。
でも本当に恥ずかしいだけ?
表皮をはんで、少し引っ張ると、シズちゃんが呻いた。薄目をする睫毛の下の目は相変わらず怒っている。

「何で怒るのさ。シズちゃんには考えがつかない話だと思うだろうけど、俺には慣らしも何もせずにシズちゃんを犯すっていう選択肢もあったんだ。まっ今からでも遅くないけど。シズちゃんがマゾで痛くて苦しいのが良い、って言うならそっちでも俺は楽しいだろうから良いよ」

今まで優しく指の先で遊んであげていた半起ちのそれを、力任せにぎゅうっと握る。シズちゃんが痛みに首を振った。

「いっ……」
「あらら、シズちゃん良い反応」

というか、薬の効用が少なくなって来てるのか。ぱっと手を放す。
「何で俺が優しく、シズちゃんなんかを『愛してあげる』のか分かる?…シズちゃんって年上趣味でしょ。いいよねぇ、シズちゃんが”ちょっとくらい”他の子に比べてわんぱくでも、大人の人たちのうち何人かは優しかったでしょう。でも俺に言わせれば偽善的過ぎ。でも幼いシズちゃんにすれば嬉しかっただろうね。自分を愛して良いんだって思えて…だから俺も優しく愛してあげようかなって。まぁ俺シズちゃんのこと大嫌いだけどさ」
「臨也、手前ぇ…ふ ざけんな!」

噛み付くように起き上がった上半身がベッドのスプリングを揺らした。本当に薬効が時間に押し流されて来ている。ちょっと楽しくおしゃべりし過ぎたようだ。
脱いだカットソーを後ろに投げ捨て、シズちゃんに向かってにやりと笑ってやった。

***

俺は自分の力が嫌いだった。カッとなりやすい質が悪かったのか、それとも。

言い抜かれたことに、決して間違いはなかった。しかし、気に入らない。手前は人を愛するなんて、出来ねぇくせに。
臨也の言葉は自分の怒りを煽るためだということは冷静に考えて分かっている。一度はそれに噛み付くように吠えたが、一笑された。罵詈雑言の一つも投げつけてやりたいが、今口を開いたら変な声をあげてしまいそうで。それを臨也に聞かれたくなかった。

「シズちゃん」

臨也がこちらを覗き込んでいるのは分かっているが、視線など合わせたくない。先ほどの恐ろしさはいつのまにか臨也の表情からは消えていた。その代わり、瞳に優しげな色が差している。あのあとにイラつくくらいの安らかな顔、それはある意味で不気味だった。その視線から身を避けたい。腕を引き寄せて隠したいがまだびくともしなかった。
臨也がその手を取る。そしてそれを俺の顔の前に置いた。腕が頬に触れて、自分の肌が上気していたのが分かった。
やはり気持ちを見透かされていたのか。瞬時にはそう考えた。が、では何故、目の前の折原臨也がその行動をとったのかは分からなかった。腕の間から伺う。
それに気づいたのか、臨也が近くまで顔を寄せて来た。

そしてオレンジ色でぼんやりと見えた視界が急に暗転した。

:::

指サックをはめた指を沈めると、急に入ってきた異物に対する体液でそれが濡れたのが分かった。指を立てると、こりこりと内側の向こう側から出っ張るようなものに当たる。シズちゃんの唸る「ん」が気のせいなのかいやらしいものへと変化した気がした。
ゆるく押し広げてみる。強い薬の副作用のせいか、その場所の筋肉は思っていたほど収斂しない。もしくは、昏倒して運ばれて来たシズちゃんに少しだけ準備をさせてもらったからか。

「シズちゃん」

呼びかけても、全く目を合わせようとしない。乾いた唇を噛み締めて、胸元から上を紅潮させている。苦しむ相手に愛おしさを感じる。シズちゃんなんか大嫌いなのに。
ベッドの上に投げ出されたままの腕の先で指がぴくりと震えた。
その手で顔を覆いたいのだろう。なんとなく、動かせない腕をとって顔の前に置いてやる。金髪と手との間から、疑問の色を示す目が覗いていた。何故シズちゃんが動きたくても動かせない手を置くのを手伝ってやったのか?それは自分でも分からないのだから、シズちゃんに聞かれたとしても答えられない。
また揺らぎだしたシズちゃんの目が耐えられなかったからかもしれない。シズちゃんの目を覗き込もうとすると、突然暗闇に阻まれた。

照明が消えた。

センサーより低い位置にいるのが理由だろう。再び真っ暗になった部屋で動きを止めると、そこにはお互いの荒い息づかいしか聞こえなかった。

***

自分でも、知るという行為が愛する行為だということだと気づいたのがいつだったかは覚えていない。俺は人間が好きで大好きで、人間を愛している。対象がどんな人間かを知りたい。この感情に嘘はない。 しかし自分が、その対象を愛しているから知りたいのではなく、その対象を知ることのみを愛しているかもしれないことにも薄々気づいてきている。
相手を知らずに愛せるのは、愛ではなく恋だ。相手から得られない情報を自分の想像で補って、相手に自分を愛して貰おうとする行為にすぎない。

何故、どんなに愛していたとしてとも、相手のことを愛せなくなるのか考えてみたことがあるだろうか。
それは相手について知ることがなくなった時だ。もちろんお互いに『相手について知ることがなくなった』ということを『知る』ことが出来、また別の感情を芽生えさすことができるのなら、人間はその相手をずっと愛することができるらしい。でも、自分はそれが出来ない人間らしかった。
知り尽くしたのちに、対象に新しい別の感情を持つことが出来ない。人間が好きで知りたくて堪らないけれど、知ってしまったらその愛は捨て去らなくてはならない。なんと不毛で悲劇的。
自己に酔いたいわけではないが、『最も永く続く愛は、報われぬ愛』とはよく言ったものだと思った。

暗闇の中で、ふと考える。
シズちゃんはどうなのだろう。憎しみや殺意の果てに、俺に新しい感情を抱けるのだろうか。そして俺はそれを望むだろうか?

息がかかるくらいの距離で、シズちゃんの煙草のメンソールの匂いがした。唇を奪ってやろうとなんとなく思ったのは、その時だった。

もちろん抵抗はあった。
シズちゃんからも。自分の感情からも。

顎を手で固定し、唇の中に割り入る。閉ざされた歯の間と固い肉の向こう側に、怯えて奥へと丸められた舌があった。それを吸ってやる。息が出来ない苦しいとくぐもった声が喉で鳴った。舌を離してやっても呼吸が難しいらしく荒い鼻息が聞こえる。唇を噛んでから離す。
薄く汗をかいている上気した肌の輪郭を耳へと舌で辿りながら、先ほど置いてやった腕を頭の上に押しやった。
耳の中に侵入すると、シズちゃんが少しだけ反応する。俺に蹂躙されているのがあのシズちゃんなのだ。それが嬉しくて愛しくてどうにかなりそうだった。

「俺に愛して欲しい?」

誰に、というわけでもなく―と言ってもこの部屋には俺とシズちゃんしかいないのだが―質問を流す。
俺は、少しだけ焦り始めていた。もうどんな戯れ言も雑言も使い果たして手元には残っていないような気がして。カードも手駒もない。もしかしたら、今頃になって……分からない。そうだとしても俺の方が優位なのには変わらないし、今までの何時間もの時間は遡及出来ない。
闇の中に答えを探そうとするが、ただの暗闇があるだけで、シズちゃんは答えてはくれない。押し上げていた腕をまた顔の前に置いてやる。上体をあげると、オレンジの照明が、再びベッドの上を照らした。
もうどうでも良くなってくる。どうせシズちゃんは俺のことは純粋に殺したいほど嫌いなのだ。

少し前の荒い口付けのせいで、シズちゃんの唇の端がどちらのものとはわからないつばきでてらてらと光っていた。

***

最初はすぐには何が起こったのか分からなかったが、光が消えただけだと理解出来ると、むしろ臨也の顔が見えなくなって良かったと思った。が、それと同時にやはり不安に変わる。暗い光が頭の中でじわりとにじり寄った。

顎が押さえつけられ、口の中に割り入られる。閉ざそうとした咥内で、奥へと丸めた舌を吸われる。舌が裏返されて引っ張られる。内側へ内側へと喉の方へ舌を隠そうとすれば、それで反射的に吐き気を催す。息が出来ない苦しい。喉がぐるると鳴った。舌を離されても呼吸が…鼻で上手く呼吸が出来ない。
咳をするような嗚咽が出てきた頃、やっと臨也が唇から離れた。
キスされた。その事実にわけが分からなくなる。困惑する俺を、真っ暗な空間の向こうで唇を歪めているだろう臨也は気づかないのか。それを知ってか知らずかは分からないが、行為はまだ続く。
それから、咥内から逃げていった舌は、喉元からあごへ耳へと移動し、耳元で止まった。先ほど安置された腕を上に押さえつけられて。暗闇の中で見える筈がないのに臨也の視線がこちらを見ているような錯覚にかあっと羞恥が刻まれる。

いやだ。

その思いは、舌の耳の中への侵入に、ただの喉から響く小さなうなり声と変わった。しかし、耳元で臨也がふっと笑ったからにはそのうなり声さえも臨也を喜ばせるスイッチだったのだろう。
男である俺を女のように蹂躙しているのがあの折原臨也。それだけで脳からの憎しみと嫌悪と悲しさと殺意の叫びで全てがどうにかなりそうだった。

「俺に愛して欲しい?」

顔の前で再び交差する腕の向こうで、オレンジ色の光が部屋に戻る。まばゆい光の中で、手や指を挟んだ先…臨也が寂しげに笑った。ような気がした。

***

「い、っ」

シズちゃんが消えそうな声で絶望的に呻いた。自分が抵抗や哀願の声をあげてももう遅いと分かっているからだろう。
挿し入れたもので、中を狭く形取っていた筋肉がぶちぶちと切れていくのが分かる。シズちゃんが特殊な筋組織を持つには、一度、もしくは何回かその筋を破壊しないとならない。つまりこの程度の衝撃で身が裂けるというのは、自分が『初めて』壊したという証拠だった。
ぞくぞくする。
うずめた腰を動かすが、シズちゃんは押し殺した声で痛いと呻くだけだった。萎えてしまった前を握って、痛みの感覚をそらしてやる。そうしているうちに慣れてきたのか、痛みを訴える声は、次第に違う色味を含んできた。胸部からうえの紅潮がだんだんと濃くなっていくのを、ぼんやりと見つめる。
ああ、俺は本当に実際にシズちゃんが絡むと弱いんだなあ。この行為を始めた時にはただシズちゃんを屈服させたいとか嗜虐的なことばかり考えていたのに。シズちゃんを手込めにはしてるものの、優しく抱いてしまう。これじゃあただの……先ほど『愛してほしい?』などと聞いたのは、優しく抱きたい自分の言い訳や保険だったのか。
そこまで考えて、自分の身の愚かさに笑えてくる。
俺がシズちゃんを愛したいだけだった!シズちゃんの顔を隠すように腕をおいてやったのも、だんだんと芽生えてきた悲しさから、シズちゃんの俺が勘違いしたくなりそうな視線から逃げたかっただけなのだ。ハハハハハハ…俺もどうして、馬鹿だなあ。
ここまで気づいて、俺はシズちゃんの腕の合間からその髪を撫でるように触れると、それは何故か温く湿っていて。
罪悪感への凶報が届く。まさか、まさかまさかまさかまさか。

「…シズちゃん?」

恐る恐るその前で組ませた腕をどける。頬には情交からの赤さ、強く閉じた目の上の眉間には皺がよっていた。しかし、俺はそんな扇情的なものよりある一点に釘づけになった。
泣いている。あのシズちゃんが。それは身を裂かれた痛みからの生理的な涙だけではないようで。

行為が急に止まって、目をゆっくりと開けたシズちゃんは俺と視線が合うと、痛ましげというより驚いた表情になった。

:::

…おい、ノミ蟲。今、手前がどんな面してんのか分かってんのか?
先ほどまで脳を埋め尽くしていた殺意の言葉が、ふっと消えてしまった。臨也の考えていることを垣間見てしまった俺は多分、こいつを今は殴れない。

ゆっくりと目を開けて、自分が色々なものに耐えている間に変わってしまった現実に驚く。なんとなく、臨也の表情が変わった理由が、俺が泣いていることだとは分かった。臨也の動かない視線から、ありありとどんなことがこいつの頭の中で今巡っているかが分かってしまう。それでも、じっと見つめている俺に気づいた臨也はいつもの小憎たらしい笑顔を浮かべた。

「…なんで、泣いてるのかな?」

黙ってまた目を閉じる。目蓋のむこうでまあいいやと臨也が笑った。心の中ではまだ動揺しているんだろう。
いつもは何を考えてるのか、この反吐が出るようなノミ蟲に罪悪感はないのかなどと考えてしまうのだが…。初めて枠の外に居た人間による言葉ではない本音が垣間見えた気がした。今でなら、臨也の中心的な部分ならどこを攻撃してもこの男は傷つきそうだとまで分かっていた。
しかし、どうしてもそんな気にはならなかったしなれなかった。別に臨也に対して同情する気は初めて会った時から現在まで微塵も感じてはいないのだが。こんな言い方を俺に許されるかは分からないが、臨也を『かわいそう』だと心のどこかで思っていた。
別にもう、何も考えたくない。

目を閉じた目蓋の向こう側で臨也が二回目の『まあいいや』を呟いた。

***

シズちゃんは目を瞑りはするものの、明らかな抵抗は示さなくなった。シズちゃんが俺の考えていることを見抜いてしまったからだろう。ではこの態度は、シズちゃんの俺への憐れみのせいなのか…若しくは本当に諦めてしまったのか。その答えによって全てが変わる。
憐れみであったら、先ほどから消沈していた嗜虐的な願望が頭をもたげるための十分な火種になる。俺なんかよりシズちゃんの方が可哀相だという事実を突き出して、じわりといたぶってやる。そして諦めであったのなら――。俺はシズちゃんをもう『特別』視することはなくなるだろう。そこまでの考えが頭の中を巡ったが、どちらであってもどちらも俺は選ばないようにも思えた。やっぱり俺はシズちゃんが大嫌いだと言うのに。
まあいいや。
今までの考えを頭から追いやる。止めていた行為をまた始めると、先ほどまでとは違った甘い声がシズちゃんの喉から洩れだしたのに驚く。

「っぅあ、ああっ、ん、あ」

手のうちでまた萎えていたものが、腰の動きに合わせてびくりと震える。シズちゃんに歪んだ眼差しを向けていた俺の情欲を掻き立てるような、今まで喉から手が出るほど欲しかった光景だったのだが…何かが絶対的に違った。
体に熱が籠もっていくのに反比例して、すっと頭の中に冷たい水が滴り落ちた。
疑心は罪悪感より痛々しく焦げて腐っていく。こんなことは自分が臨んでいたことでは決してない。

ふと顔を上げると、シズちゃんと視線がぶつかる。そこでやっとシズちゃんが何を思っているのかが分かった。

「……ははは、甘いなあシズちゃんは。そんなんだから「殺す」って言いつつも、俺みたいな人間を側にのさばらせちゃうんだよ?」
「うるせえノミ蟲が、」

早く終わらせて早く死ね。息も絶え絶えにシズちゃんが呻いた。甘い声と共にとがった殺意が飛んでくる。
ほら、またそう言いながら俺を受け入れているじゃないか。理不尽な存在で、また自分が認める限りの相手の理不尽を受け入れてしまう。これだからシズちゃんは嫌いなんだ。言いたいこともいっぱいあるけど、とりあえず今はリクエストにお答えしておこう。
早く、は死ねないけど。

:::

気絶したのか、それとも眠ってしまったのか。体を離すと、ベッドに倒れ込んだままぴくりとも動かなかった。もう打つ必要も無いが、その腕にまた『ぐっすり』眠れるように薬を打ってあげる。
それが終わると、流石に俺も疲れたらしく眠気が襲ってきた。シャワーを浴びて服も着替え……たいけれど、シズちゃんに寄り添うように寝転がる。手を延ばした金髪はもうすっかり乾いていて、指を通すのにも心地よかった。

ブリーチで脱色された髪もベッドのまわりで床に散らばっているバーテン服も、外して投げ捨てたからどこにあるか分からないサングラスも、今は寝ている身体も、予想がつかないところさえも。愛と憎しみは双生児なのだから。
シズちゃん、愛してあげる。愛してる。でも死んでね?

眠っている獣、もとい『かわいそうな』生き物の吐息の洩れる唇へ、愛を込めて口づけを落とした。
かわいそうなのは、お互い様だということには気づかないふりをして。