片蔭、陽炎・3 - 2/2

「可愛いっしょ!今さっき、石段の下で会ったんだ~冴木にも見せようと思って」
「抱っこされるの嫌がってるみたいよ?離してあげたら?」

 急いで出て行ったサエキさんとはまた別の元気な声と落ち着いた声が聞こえてくる。女子が二人。話し方からして、サエキさんの友達らしい。
 一緒に出て行くわけにはいかず、起き上がった姿勢のまま動くことも出来ない。額の上に掛けてくれていたらしい濡らしたタオルや脇に挟まれていた保冷剤を畳や座布団の上に放っておくわけにもいかない。俺はそれらを手持ち無沙汰に手の中でぎゅっと握った。
 まだ冷たく凍っている。
 壁にかかった時計を見る限り、気を失っていた時間はそこまで長くなかったらしい。ここはどうやら神社によくある社務所の中のようだった。傍にはスポーツドリンクのペットボトルも置かれており、迷惑をかけてしまったらしく申し訳なくなった。
 でも、友達も来てるようだし、早く出て行った方が良いよな。
 同年代ではっきりと見れて一緒に暮らしているらしい『見える人』には興味が惹かれるが、長居するわけにもいかないだろう。そして何より、先ほどから興味深げにこちらを見てくる二匹の『神使』の視線も気になる。でも、いろいろとしてもらってしまった。しっかりとお礼は言うべきだろう。とりあえずは保冷剤などを水滴が垂れても問題の無さそうな作業台の上に置き、場を整える。すると、ずっと食い入るようにこちら様子を見ていたギンタロウと呼ばれた神使がようやくその口を開いた。

「おい、あれ、おまえの知り合いだろ」

 ちょいちょいと外に向かって指を振る。しばらく黙ってからの開口一番におれは戸惑った。
 知り合い?おれに?
 その言葉と指した方向に従って窓の外を覗く。そこには、明るい髪色の女の子の腕の中でじたばたと暴れる先生の姿があった。

「ニャンコ先生!」

 思わず上げた声音は、自分が思っていたよりも大きく境内に響いた。それに呼応して三人が振り向く。サエキさんは驚いたように、他の二人は予期せぬ部外者といった様子で。瞬時に微妙な雰囲気が流れる。そんなおれたちをよそに、先生は早く逃げ出したかったのだろう。その隙にひらりと腕を抜けた先生がここぞとばかりにおれに向かっててとてとと走り出した。
 相変わらず、可愛いと言われるのは苦手らしい。

「具合は大丈夫?」
「はい。……お騒がせしました。もう平気です」

 窓越しにはなるが、サエキさんに会釈する。これが少しは怪しいものではない証明になったらしい。他の女の子たちも安心したらしく、先ほど先生を抱いていていた女の子は特に好奇心に満ちた様子に変わった。サエキさんにおれについて質問を始めたのが見えた。
 会ったばかり話したばかりのサエキさんも困るだろう。靴が見当たらず外に行くことは出来ないが、おれは急いで社務所の入り口から顔を出す。ニャンコ先生はいつの間にか境内の隅のほうにうずくまっており、出てきたおれの方を一瞥だけした。
 確かに神社で待ち合わせをしていたが。本当に神社の中に入ってこられるとは。あの慌てっぷりを見るに、抱きかかえられて境内まで上ってくるのは予想していなかったらしいが。すました顔をしているのがさっきまでのギャップで少し笑えた。
 ふと、足元を見ると、ハルと呼ばれた小さい方の神使がおれと一緒になって顔を出している。その視線を追うと、ちょうど石段を誰かが登ってきたところだった。男子学生。剣道の防具セットと竹刀を背負っている。同い年くらいだろうか。足元の神使の表情がぱっと明るくなったのが分かった。
 サエキさんも気がついたらしく、すぐに駆け寄り、二言三言何かを告げる。すると、驚いたようにこちらに振り向いた。おれはというと、思わずまた頭を軽く下げた。

「悟!」

 こちらにまっすぐ歩いてくるその足元に、小さな神使が名前を呼びながら飛びついていった。
 サエキさんは先ほど、神社の血筋とか跡継ぎの人には、この神使という存在が見えると言った。勝手慣れたその様子からするに、顔や雰囲気は似ていないが、サエキさんの弟なのかもしれない。
 神使のこの反応といい、多分、彼も見えるひとなのだろう。
 逸らせずにいるその目を見ながらなんとなく、おれはそう思った。