彼がくれたのは本当に解毒剤だったのだろうか(臨静)

「君がこんな風に怪我をして僕を訪ねて来るなんて高校以来かな?」
「慣れたつもりだったんだけど、シズちゃんってやっぱり規格外品だからね」

旧態依然というか相変わらずだね、と知ったようにそう返したのに含みを感じて少しだけ怪訝な色が胸に差した。が、新羅の眼鏡越しの疑念を確信する目に我に返り、興味深いと言うように笑みを称えることでなんとか態勢を整える。

「何それどういう意味?」
「はは、確信は無いけれど、君たちの憎しみであえたような関係を解毒するかもしれないってことかな。でも毒を以て毒を制するような方法だから下手をすれば抱薪救火なだけかもしれないけれど」
「それがシズちゃんを合法的に殺す方法だったら是非とも教えて欲しいね」

しみるよとオキシドールがついたガーゼを押し当てながら、殺害を望む言葉にも新羅はあっけらかんとして笑った。

「違うよ。臨也の静雄との犬猿之仲に終止符を打てるかもってこと…うん、たしかに効果がある方法なら本当に猛毒を制する劇薬だ」

言い切りながらも話すのを止めずに、自己完結と説明口調の合間で新羅は言葉をにごした。薬を塗布したガーゼが包帯で体に巻き付けられていく。
新羅は会話を続けてもいいかとの確認を見ている。興味はなくなっていたし何となく今から聞かれることは分かっていたが、俺は黙ってその先へと促した。

「臨也、君は静雄君のことが至極本当に嫌いなのかい?」

:::

臨也のことだ。この質問が来るだろうと思っていたんだろう。噴き出すように笑った後に、顔を歪めて返事をくれた。

「新羅、俺ともシズちゃんとも付き合い長いんだから見て分かるでしょ?シズちゃんは俺のこと殺そうとしてるし、俺はシズちゃんが大嫌ーい」

そう、君たちとは付き合いが長いから分かったんだよ。君たちが本当はお互いに『嫌ってはいない』ってことはさ。
大体、君たちの関係には前からどこか不自然なところやお互いへの妙な緊張感が違和感としてあったんだ。だから私なりの結論として至ってからは、とりあえずこの事象の1人の観察者として友人として見させてもらってたんだけど。

「俺はアンビバレントにシズちゃんに対して愛情と憎しみの感情を同居させてる気はないけどなぁ」
「そこまでは考えたことがあるのか。前にも誰かに聞かれたことがあるのかい?もしかして…まぁいいや。いや、僕はそんな生半可なものじゃなくて、ただの病的なまでの反動形成と思うんだよね。違うかな」

臨也がその口をきっと閉めた。
反動形成。今の御時世なら中学生でも知っている心の適応規制。臨也なら気づいていたんじゃないかな。完全に葛藤を消し去るわけじゃなくて心を安定した状態に変えるだけだし。

「君は静雄が好きだから、憎んでいるんじゃないかな」

処方した劇薬で臨也の眉目秀麗な顔が焦りと困惑で曇っていく。
真実を知ったこれからのことはどうなるかは分からないけれど私があたえたのは本当に解毒剤だっだのろうか。

:::

「誰かひとりを愛せないのは可哀想ね」
「俺は全人類を愛してる訳だから、これ以上平等で素敵な愛の形は俺としてはないと思うんだけどなぁ」

だからたったひとりを愛することはしないんだ、と上司は笑った。彼がおかしいことは分かっている。でもたとえ上司が気が触れていても私には関係がないの。愛する弟さえ居てくれればいい。
だから私はそう、とだけ返事を返して目の前の仕事に向かった。しかしいつもはそこで終わる会話が続いてしまった。

「ナミエサンは、ずっと彼だけを愛して来たわけでしょ?まぁあんたは彼に纏わりついて来た子を彼から離す為に彼女達を『愛して』はいたみたいだけど」
「…ええそうよ。愛する誠二の為ならば何でもしてきたわ」

この男にしては人の愛情にとやかくいうのは珍しい。
上司の言葉には気に障ったが、すぐに誠二の顔が浮かんで来て、私の今までの過去が誠二の為のものだったということに気がついて幸福だと感じられた。

「君の愛は与えるものらしいね」
「あなたは見返りを求め過ぎよ。あなたが弄んでもこれは愛だから、あなたを愛して許すべきだなんて傲慢だわ」

上司は苦笑いをして私の反論を流した。

「1人の人間だけに愛だろうが何だろうが執着するのはよくないなぁ。それも傲慢って言うと俺は思うけど」

今度は私が笑う番だった。

「あら、それだったらあなたも私のお仲間じゃない。何て名前だったかしら――ああ平和島静雄ね」
「シズちゃんには人間としての愛なんて感じてないんだけどなぁ」
「執着していることは否定しないのね。それに今の台詞だと人間としての愛以外の愛情を否定したことにはならないわ。愛情と憎しみを同対象に抱く…アンビバレンスって言うんでしょう?」

言い返さずに沈黙する臨也を横目に波江がついに仕事を始めると、そのまま何も言わずに臨也は部屋を出て行った。
矢霧波江には愛しい弟以外はどうでもいいのだ。波江はすぐに頭の中から先ほどの臨也を退場させて、愛しい弟の顔を思い出して笑った。
幸せそうに、幸せそうに――

:::

何時間か前の部下の台詞を思い出して奥歯を噛む。今日、シズちゃんのあの拳を避けきれなかったのもあの台詞が脳裏に不意に浮かんだせいだ。

アンビバレンスって言うんでしょう?

何がアンビバレンスだ。確かに今日確認してはみたが、ナイフを向けたシズちゃんに対して、愛はもちろん、新羅が言うような反動形成による軋むような憎しみもなかった。
俺がシズちゃんに執着?執心?サイモンは俺がシズちゃんに対してコンプレックスを持っているなんて言ってたけどさ。俺が持つコンプレックスなんてさらさら…一応の自覚はあるけどさ。
というより、シズちゃんなんか好きになったら絶対に幸せになんかなれるわけがないって分かってるし、俺は自分の不幸を顧みずに人を愛することが出来るような人間だろうか。

「終わったよ」

新羅はそう言って深々とした傷口を包帯の上からぽんぽんと叩いた。打撲には湿布が貼られただけなので、シズちゃんの拳を全ては回避出来なかった割にはどうってことなかったようだった。
そこまで考えて、しゅるりと怪我の熱で燃えていた怒りが静まる。

「ん、じゃあまた。またシズちゃんと遊んで怪我したら来るね」
「静雄君と喧嘩するのは良いけどさ、ここは私とセルティの愛の巣なんだから夜は来ても開けてやらないよ?」

呆れたような闇医者を背に、情報屋はその部屋を出つつ、ふふんと笑った。

「…新羅さぁ、シズちゃんに対して、もし俺が反動形成の憎しみでも愛でもない感情を持っていたらどうなるのさ」
「知らないよ、僕は医者でも切ったり縫ったりするのが専門だからね。むしろそういった心理的なものはどちらかと言えば君の管轄だろ」