お弁当サン音6:おかゆ

 なぜ俺は体調を崩してからでないと、自分が疲れていることに気がつけないのだろうか。

 目が覚めると、体が重く、寝台から起き上がれなかった。熱があるようで、頭がぼーっとする。そのまま黙って横になっていれば、排気音がいつもより大きいのにやっと気付く。考えて答えを出すまでもなく、風邪である。
 まずい。とにかく起きてカセットロンに朝食を……
 と、起き上がろうとした時、ふいに頭の中に『有給消費』という言葉が浮かび、もう一度もたげた重い頭を元の位置に下ろした。そう言えば、数日前、定期連絡において有給を取らないのをレーザーウェーブに注意されていた。

「……レーザーウェーブめ、アイツ、気付イテたナ」

 俺は声に風邪の兆候が出ないため、自分で常に気を払わなくてはならないのをいつも忙しくしていると忘れてしまう。そういった自己管理を欠いた自業自得の結果ではあるが、紫の機体の思惑を邪推して毒づく。俺が何日か休めば、セイバートロン星からあいつが召喚される。それで――
 とそこまで回らない頭で考えて、俺はブレインに負荷をかける無駄な行為を止めた。
 ……たまにはいいか。もう今日休めば、週末だ。朝早くではあるが、あいつなら起きているだろう。

 レーザーウェーブに通信を入れると、案の定数コールで出た。

 ――忌々しい。

 

 ふと目を覚ますと、昼過ぎだった。
 心配するカセットロンを追い出すように送り出した後、数デカサイクルも落ちていたらしい。正午にかけて少し気温が上がってきたのか、寝苦しく感じる。こういう時は何か飲んだほうが良いのだろうが、あいにく起き上がれそうにない。
 そして、どうしようかなど考えれば、またうつらうつらと眠気がやってくる。
 寝なくては治らないとは言っても、限度がある。体内の器官のリズムが崩れるし、ブレインの負荷を下げるためにも、栄養と水分、薬は摂取しなくてはいけない。加えて、朝から一度もベッドから出ていない。

「……起きネバ」

 ――ガチャリ、
 と玄関のドアが開く音が聞こえたのは、そんな重たい腰を上げようとしたまさにその時だった。
 カセットロンか?
 いや、ゆっくりと入ってきたその足音はひとつだけで、その重量はカセットロンのものよりはるかに重い音が聞こえる。
 泥棒か?
 一瞬、軍事行動が染みついた身体は、一番良い迎撃態勢になる場所を探して部屋の中を見渡す。が、その足音は泥棒にしては迷いがないし、しっかりと歩いている。この家の間取りを知っているやつの歩き方だ。
 カセットロンでもなく、この家に来たことがある者で、来そうな――いや、まさか。……しかし、思い当たる機体が一機だけはいる。しかも、フレンジーたちがなんの疑いもなく、ウチの鍵を渡すことの出来るような奴が。
 足りない頭でその可能性に気がついた瞬間、俺はシーツを引っ張り上げ、頭からすっぽりと布団の中に隠れた。
 まもなく、俺の部屋の前でその足音が止まり、少しの間をおいてから小さなノックが三回叩かれた後、俺の名前を呼ぶ声と共に扉の開く音がした。

「……サウンドウェーブ?――って、まあ、そりゃ寝てるよな」

 心配したような声と、何かに安堵したような声。俺は寝たふりを続けながら、その声にいらいらとしていた。俺は、こいつがドアを叩く前、息を飲んだのも聞いている。俺と顔をあわせるのが嫌なら、なぜ来たのかと問いただしたくなるのを俺はやっとのことで我慢した。

「とりあえず、飲み物買ってきたんで、ここ置いときますね」

 起こすのをためらうそいつは、ビニール袋の音を立てながら寝台の隅に何かを置く。その重みでスプリングが跳ね、互いにぶつかり合う音でペットボトルの飲料水を買ってきたのがわかった。
 そう、こいつだ。この風邪も、何もかも。すべては、水色の航空兵。サンダークラッカーと名乗るこいつのせいなのである。

「……ちょっと台所、お借りします」

 微動だにしない俺に向かって、サンダークラッカーはぼそぼそと呟き、静かに部屋を出て行く。この俺からの答えが返ってこない上での形式的な問答は、あいつの心中で安寧を得るためでしかない。何故、来たんだ。何故、お前はこのタイミングでためらう。
 ブレインスキャンでその空っぽな頭の中を覗けば、フレンジーが以前俺が料理について手出しするのを嫌がると言っていたことを気にしていた。俺が嫌がると知りながら、俺の許可なしで台所を使うことに罪悪感を持っているようだ。
 くだらない。お前が気にするべきはそこじゃない。何だってお前という機体は……
 考えるだけで頭がくらくらしてくる。もう、やけにこの機体とのことに乗り気なメガトロン様にとやかく言ったり、カセットロンたちをたしなめたりするつもりはない。が、こいつは別だ。こいつの行動によって今の状況が決定されてきた。

 もともと、こいつは兄弟機がカセットロンをいびるのをよく咎めたりしていた。
 が、ある時に凄まじい喧嘩になった時、周りは野次馬を決め込む中(なんの気まぐれか)その喧嘩を仲裁した。
 カセットロンは俺の直属の部下であるから、そのカセットロンが借りを残したままにしておくわけにもいかない。なら、一度で済むからとついでに作った弁当を渡した。弁当箱はその一回のために買った物だったし、俺の中ではそれを渡した時点でサンダークラッカーが食べるにせよ捨てるにせよ借りはなくなったわけで。関係は無くなったと思っていた。
 しかしその日の作業が終わると、俺の前にいつになく機嫌の良い航空兵が食べ終わった後にゆすがれた空の弁当箱を持って現れたのだった。それからは、俺の方もカセットロンのことやいつかの作戦についての打算もあって、サンダークラッカーの弁当を継続して作ることになった。
 そうこうするうちに、俺がやつに弁当を作ってやっていることがサンダークラッカーとその兄弟機との喧嘩のうちに衆目に晒され、組織のトップであるメガトロン様から俺とサンダークラッカーとで結婚を前提としたお付き合いをするようにと命じられた。この命令で俺はこいつと離れられなくなってしまった。
 あれからもうすぐ、地球時間で3ヶ月が過ぎようとしている。
 カセットロンたちも命令以前からこの機体に関しては寛容で、妙に迎合しようとしている。俺はあんな風にサンダークラッカーと関係を結び付けられる気は更々なかった。
 ……では、どんなやり方だったらいいのか。何で――
 駄目だ。ブレインが、うまく働かない。
 思考が流れ始め、ため息をつく。排気する空気が熱い。
 とにかく。サンダークラッカーという機体は、変なところで踏み込むのをためらうくせ、俺が驚くような部分に食い込んでくる。それは不可抗力にせよ、偶然にせよ。俺が断る理由のないものだったり、サンダークラッカーの思いつきの言葉だったり。
 まず、弁当を正式に渡すようになってから、俺が作った弁当のことで昼飯時が騒がしくなった。それでサンダークラッカーから俺に昼食を一緒に食べることを申し出られ、その言葉のレトリックからあいつとふたりっきりで食べるはめになった。次に、そうこうするうちにジャガーもコンドルもあいつを認めたらしく、金曜の夜にサンダークラッカーが夕飯を食べに来るように誘うようになった。金曜に夕飯を食べるようになってから、平日の夜も入り浸るようになるのは早かった。
 食べるという行為や夕飯、自分の家というプライベートに、こいつは土足で入り込んでくる。しかも、なんてことなさそうに。俺が嫌がる隙もなく。主義主張のない事なかれだからこそか、『なあなあ』で簡単に馴染んでくる。
 今日だって、こんな弱った姿を見せたくはなかった。

「……何ダッテ、あいつハ――」

 手に一番逃げられないところへ入ってくる癖に、妙なところで踏み込んでこなくって。イライラする。
 頼むから早く帰れと布団の中で呪詛を吐きながらもぐっていると、台所で何やらしていたサンダークラッカーが帰ってくる足音が聞えてくる。
 思わずより深く布団にもぐりこむ。

「失礼します」

 その声は先ほどよりは落ち着いていた。
 歩くたびにかちゃかちゃと音がするのは、何か食べるものを作って持ってきたのだろう。しかし、俺に起こすように声をかけることはしない。
 寝台のデスクに食器が置かれる音がし、側に椅子が引っ張ってくる音がする。サンダークラッカーはそこに座った様子だった。
 そして、沈黙が訪れる。

「…………」

 静かな中、布団に潜っていることで機熱が上がっていく。空気の循環が滞り、排気口がシーツに触れることでうまく排熱されない。
 くそ、出てくか起こすかしろ。
 サンダークラッカーがどうするかを確かめるためにもう一度、ブレインスキャンを試みる。
 どうしたもんか。全く分からねえぜ――――……こいつは。
 急に布団の中に潜って暑さを我慢しているのも、馬鹿らしくなる。何故俺がこんな風にこいつために辛い思いをしなくてはならないのか。
 急に布団を押しのけて起き上がると、サンダークラッカーは椅子の上でのけぞった。

「――っくりした、」

 ヒューズがぶっ飛んだかと思った。
 起き上がった俺をじろじろと見ながら、感慨深そうにサンダークラッカーはそう言った。

「起きてたんなら、声かけた時に答えてくださいよ」

 俺が起きてたことを認めた後、何事も無かったように話をし始めるその態度が信じられない。
 俺が狸寝入りをしてたのは、そんなに意外性はなかったのか?お前は俺の何を――
 熱で反応の遅いブレインが皮肉や罵声を考える前に、サンダークラッカーは明るく話を繋げてしまう。

「これ、勝手に調理道具使ったんですが、メシ作ったので食べてください」

 そう言って、枕元に置いてあった一人用の土鍋の蓋を開けて中の粥を見せ、こちらに寄越してくる。

「薬も買ってあるんで」

 小さく指さす方を見れば、先ほど置いていったペットボトル上にはビニールの袋が乗っており、その中は何種類かの薬の箱が見える。

「あんたがどんな風邪とか、どんなのいつも飲んでるか分かんなかったんで、俺がいつも飲んでるのを色々買ってきただけなんですけど」

 違う。そうじゃないのだ。何故この男は気づかない。
 ずっと無言を保つ俺に何を思ったのか、サンダークラッカーはふいにこちらに手を伸ばしてきた。

「サウンドウェーブ、あんたそんな、しゃべれないくらい熱が――?」

 こいつは、また、なんとはなしにこんなことをするのだ!
 俺は思わずその手を払いのけ、土鍋を抱えたまま後ずさった。

「なんだっていうんです?」

 サンダークラッカーは訳が分からないという様子で、怪訝な顔をして見せた。
 こいつ、本当に無意識にやっているのか。

「俺に気なんか使うなよ」
「ソンナことはナイ!」

 思わず強い語勢で言い返すと、サンダークラッカーはふいに悟ったような顔になった。

「俺に一番弱ってるとこ見せたくないのは分かるけどよ」

 弱ってるなんて。しかし、俺はなんともないのだ。

「違……!」

 粥を突っ返してやろうと立ち上がった俺は、世界が揺れたのが分かった。

 

「何やってんだ!?」

 ぼやけたブレインと視界の中、そんな罵声が耳元で響く。
 視界は斜めで床が近い。足元はおぼつかない。今、どんな姿勢で――?
 手には、鍋は無い。しかし、こぼれてはいない。
 見渡せば、サンダークラッカーに抱きとめられる形で、自分の身体を預けているのを認知する。すぐに離れようとするが、『馬鹿、零れる!』と叫ばれ、余計に抱き留められた。
 ああ、片方の手に、俺が落としかけた粥を持っているのか。
 そこでやっと、自分がベッドから落ちたということが分かった。

「せっかく今日、ひとが午後から半休にしたんだから、この金土日でちゃんと治ってもらわなきゃ困るんですよ!」

 知るか、お前が休みをとったのは、俺のせいではない。
 粥の鍋を椅子の上に避難させながら、サンダークラッカーが勝手なことをぶつぶつと言う。そのまま、床の上に抱きとめた俺を軽々と持ち上げて立ち上がり、ゆっくりと俺をベッドに戻して布団を被せてくる。

「この馬鹿たれ! あんたの仕事は風邪を治すことでしょうが!」

 腰の位置に寝具をつめてしっかりと俺を座らせ、もう一度しっかりと鍋を持たせる。
 ああ、これではまるで介護のようだ。

「馬鹿に馬鹿ッテ言われタ……」

 もう、一番見られたくないところを見られ、弱さを吐き出し、傍から見れば子どものようにぐずって甘えている。恥ずかしいとか、プライドだとか、パーソナルスペースだとか。そういうのを超えてしまい、俺は無気力な気分になった。

「ほら、ちゃんと持って。食ってください」

 受け取るそれはまだ十分にあたたかい。
 言われるがままに、蓮華で粥を口に運ぶ。
 見た目は悪くない。しかし、味は風邪で舌が利かないせいか全く分からない。何とも言えないむなしさが胃を通して身に染みる。
 そんな俺を尻目に、サンダークラッカーは部屋を出て行ったかと思えば、いつ場所を知ったのか、ウチのハンドタオルを濡らしたものを絞って持ってきた。
 もう、部屋を出るときも入るときも、何も言わない。
 ……完全に負けたのである。

「それにしても、あんたが体調不良なんて、鬼の霍乱ってやつですね」

 鍋の中身を空けると、水色の航空兵は椅子の上でにこっと笑って見せた。

 

 

 

「具合はどうだよ、サウンドウェーブ」
「あいつに鍵ヲ渡したノハお前か、フレンジー、ランブル。ドウシテ――?」
「サウンドウェーブ、もう諦めろよー」
「そうそう、結婚を前提にしたお付き合いなんだから、バリア張ったって無駄無駄」
「実際、世話やかれるのも、そんなに悪くはなかったんだろ?」
「…………」