甘いキスをひとつ(仏英)

会議はいつもの混乱とともに、時間切れという決着で打ち切られた。
流石に何か飲もうと自販機の前に立つが、あいにく俺の飲みたかった紅茶は商品のラインナップの中に並んでいなかった。普段はコーヒーなんか飲まないが、しょうがなくそれを選ぶ。よく見るインスタントの銘柄に、アメリカの顔がふとちらついた。
こんな場末のカップコーヒーのスタンドにもし紅茶が入っていても、俺好みじゃなかっただろう。
と酸っぱいブドウに、心の中で皮肉を飛ばす。が、自分が気に食わない気持ちでいるのがまざまざと自覚されて、イライラとした。何もかもが気に入らない。周りの世界の全てが自分に反発しているようだ。
古ぼけたスタンドはじゅうぶんに俺を待たせた後、ようやく色の薄いコーヒーが入った紙コップを吐き出した。
一口含み、顔をしかめる。

「……苦い」

紙コップの縁に歯型をつけるが、やり切れない気持ちは増すばかりだ。コーヒーを選んだことは大きな間違いだった。壁にもたれながらコーヒーなぞをちびちびと啜っているという疲れた自分が憂鬱で仕方がない。
会議の興奮冷めやらぬ他の連中はロビーで大きな声で話している。癇癪を起こしてそいつらにうるさいと怒鳴り散らすほどの元気などない。
俺はまるで座る場所のないソファやコーヒーテーブルの隙間を通り抜け、玄関ロビーから離れてひとりで落ち着けそうな場所を探すことにした。
もともと、今日はなんだか朝から調子が悪かったのだ。だから、会議中にあの空気の読めないアメリカにどうしただなんて言われたのだろう。日本からはこっそり飴玉が回ってきたし、イタリアにはビクつきながらちらちらとこちらの顔色を始終伺われていた。ドイツはなんだか妙に優しかった。……別に、何かが特別にあったわけじゃないのだが。そんな気難しい子どもにするようななだめ方をされるとは思っていなかった。
つい気を抜くと、どこまでも気落ちしていってしまう。理由もなく憂鬱になってはいけないなどいう法律はないが、周りに心配をかけるまでとなると、結局は今回はどうしても自分が悪い。それだけははっきりわかっているから、余計にイライラしてしまう。
疲れ切って一歩も歩けないと思っていたが、気がつくと、いつのまにか建物の端にある非常階段の前まで来てしまった。周りには誰もいないので、大きく大きくため息をつく。息を吐くままに魂やなんかまで出て行ってしまいそうだ。
このさいどこでもいい。
非常口を開けた先には、先客が階段に座って頭をたれていた。
ああ、なんでこんなに憂鬱でイライラしているときに、こいつに会ってしまうんだろう。そう思いながらも、言葉は考える前に口から飛び出していた。

「お前、こんなところでなに寝てんだ?」

フランス。そいつの名前を呼ぶと、見慣れた金髪の頭が上がって、その下の疲れた顔が覗く。
その表情はいつも飄々として何かとあれば伊達男ぶるその男『らしく』なかった。

「……やつれてんな」
「坊ちゃんもね」

疲れた顔でフランスはへらっと笑った後、手で顔をごしごしとこすった。俺に顔のことで突っ込まれたのを気にしてだろう。
そういえば、今日の会議中、こいつは何をしてたんだっけか。疲れた脳みそを回して記憶を絞り出すも、いつものように突っかかってくるようなことはなかったように思う。

「どうりで今日つっかかってこなかったわけだ」

ひとしきり揉んで摩擦で赤くなった顔をあげ、フランスはようやく俺の方をちゃんと見た。

「ねえ。お兄さんにも、それ、一口ちょうだい」

自分のことを『お兄さん』といつものように呼び、フランスがだんだんといつものペースになってきた。それでも、やっぱりその表情には疲れが見える。何かあったんだろうか。
手渡すコーヒーはカップを通しても、もう温くなっているのが分かった。

「俺はあんまり好きじゃないから……全部飲んで良いぞ」
「そりゃどーも」

じゃあ、なんだってコーヒーなんか買ったんだよ、そう言ってフランスはくしゃっとやっといつも通り笑った。
座れよ、とフランスが自分が座っている非常階段の段の横を叩く。そこに腰を落とすと、ポケットに入れていた日本にもらった飴が足に当たった。ゴリゴリと当たるそれを引っ張りだし、口に入れる。

「疲れた時には甘いものだよね」

でも、イギリスが甘いもの持ちあるているのなんて珍しいな。
俺が飴を口に入れたのに気がついたのか、フランスがぼそりとそう言った。

「なんか、今日、疲れたし……」

そうだろうか。いや、確かにアメリカやイタリアやスペインなんかと比べたら珍しいだろう。あの日本だってなぜかいつも袋飴を持ち歩いている。

「分かるよ。そういう時もあるよな」

フランスがすごく自然に、俺の言葉に同意する。別に俺に気を使っている様子もない。ただ、そう思ったから言ったような素っ気ない言葉。そんななんとはない言葉ではあったが、俺にはひどく『いい感じ』に思えた。
ああ、気難しくはあるが切り替えの早い、気のいいこいつにもそういう時があるんだな。
横を見ると、フランスも紙コップの縁に歯を立ていた。紙のカップにインスタントコーヒーのブランドが印刷されていても、それを飲むフランスは俺より様になっていた。
カップにつける口を思わず凝視してしていたら、フランスに気づかれてしまった。

「はは、よく考えてみると、間接キスだなイギリス」

そう言って寄りかかってくるフランスの笑顔は少し助平なものが混じっていたが、俺はなんとなく動かなかった。
伸ばされた腕は一瞬ためらった様子だったが、最後には肩に回され、今度こそ間接ではないキスが降ってくる。口の中が飴の甘さとコーヒーの香りでいっぱいになる。
……やっぱりコーヒーは苦いから苦手だ。
目を閉じながら思った。

願わくば
甘いキスを一つ、