老眼鏡(仏英)

――老眼、ですね

そう診断されたらしいアーサーは、テーブルの上の真新しい黒い眼鏡ケースを不服そうに見つめていた。老眼になるのは早い奴でも40歳。その手前で老眼鏡をつけるのにやはり抵抗があるらしい。
彼とは12歳離れてはいるが、童顔のせいで俺と同じくらいか、少し上ぐらいに見えてしまう。アーサーはまだ気づいてはいないだろうが、女性には「そういうの」は結構ウケが良いのだ。
しかし本人はそのことをかなり気にしていて、少しでも馬鹿にすると滅茶苦茶機嫌が悪くなる。仕事でそれで舐められるのが嫌いらしい。老眼鏡をかければ、それも解決するだろうに。
アーサーと今の恋人という関係に雪崩れ込むまでになったきっかけが、初めて会ったパーティーでアーサーを自分より年下に間違えて怒らせたことだった俺には何とも言えないんだけど。

「いいじゃないか、昔から近くの読み物を読むの苦手だったんだし」
「ふざけろ。俺はまだ38だぞ。40代に入ってない」

ほらみろ、オッサンじゃないか。
英国紳士は老いさえも楽しむなんてよく言うが、いざと言うとアーサーにはそんな余裕は全然ないらしい。

「アーサー、これかけてみろよ」
「嫌だ」

いいじゃん、とケースを開けて眼鏡を渡すと、渋々とこちらを気にしながらかけて見せた。

「やっぱりこれは慣れないな。変じゃないか?」

俺は近くにあった、中サイズの手鏡を寄越す。鏡の中には、結構様になった年相応ぐらいに見えるアーサーがいた。
そう、年相応に見えすぎて――

これがあると分かっていて、彼は眼鏡をかけなかったのだろう。
思わず俺が黙ると、彼が心中察した様子で笑った。

「寂しがり屋のお前がくたばってからじゃないと、俺はこの眼鏡をかけられないらしいな」

笑ったアーサーは、いつものように幼く見えた。それを見て安心した俺は、首を横に振る。

「いや、それはいいや」
「俺も新聞を読めないのは困る」

似合ってるよ、とアーサーの頬にキスをすると、眼鏡のフレームが俺の鼻先に当たった。
俺も慣れなくてはいけないらしい。