答えてやらない(仏英)

「そういえばさ、なんで坊ちゃんは家庭教師なんて雇ったの?」

その『雇われている家庭教師』がふいに読んでいた本から顔をあげた。大学のレポート用の本であるそれは厚く字が細かい。その見てくれに恥じることなくつまらないようで、この突飛な質問は読むのに疲れたから俺にちょっかいを出そうということなのだろう。
俺の家庭教師であるフランシス・ボヌフォアは、俺に勉強を教えない。

「俺があの学校行ってた時も、今も、なんだかんだ言ってずっと首位キープしてるわけじゃん。それに俺が居なくてもくそ真面目に勉強してるんだろうしさ。まあ、勉強しなくても要領良いから卒業まで苦労することなくトップだろ?」

フランシスの言い分はこうだ。確かに、お前が居なくてもそうなるだろうな。お前が俺に教えてくれたことといったら、お前が好きなワインとかお前が作れる料理とかお前の趣味のレベルだからな。普通はこんな家庭教師はすぐに契約を切られる。それが例え、幼稚舎からの先輩、兼幼馴染、兼ご近所の腐れ縁だとしても。

「知らねーよ、ばか」
「お前っていつも天邪鬼だから分かりやすいよな」

何か計算してのことなんだろ?フランシスは分厚い本から完全に手を離した。もう読む気すらもないらしい。
分かってますよ。というこの態度には度々、その都度少しいらいらする。さらにこいつの場合は見透かしたものを見越して人を甘やかすのも得意なのだ。それで素直じゃねぇ素直じゃねぇとぼやきながら、ちゃんと分かっている。自分のことを理解して尊重してくれるのは喜ぶべきことなのだろうが、その前提で俺の口から言わせようとするのはいただけない。
しかもだ。俺の考えてることすべてが分かるなら分かったでいいのだが、こいつには気づけないことが多々ある。それだからこそ、こいつは俺に興味を持って接するのだろうが。分からないことがひとつあるだけで、人の行動の関連性の全貌なんて読み取れないものだ。お前は俺がお前を好きだなんてことはきっと少しも思いをかけないだろうし、お前が気づかなくても別にいいと思っている。
くそ、テスト前だっていうのにこんなこと考えてていいのか。いまいましく思いながら睨み返したフランシスの顔はにやにやと何も知らない者の顔で、余計に腹立たしかった。

「お前の残念な頭じゃ一生分かんねーことだよ、その髭むしるぞコラ」
「はいはい」

大きく伸びをした後には、もう理由を聞くことはしなかった。その代わり、休憩しようと持ってきていたらしいケーキを机に広げている教科書の上に置いた。普通家庭教師の授業というと合間の休憩の茶菓子なんかは生徒の家が用意するんだが、こいつは自ら持ち込み且つ自分の好きなときに休憩を取る。

「……しょうがねぇな。じゃあ紅茶淹れて来てやるよ」

立ち上がり、ドアのところでふと思いついた。

「さっきの質問だけど、お前が家庭教師だからだよ」
「何それ、俺が特別ってこと?」

フランシスがにやりと笑う。こちらも嫌味たらしく笑ってやる。

「ケーキ持ち込んで生徒に茶淹れさせる家庭教師なんてお前くらいのもんだよ」

閉めようとするドアの向こう側で、俺が皮肉屋だと叫ぶ声が聞こえた。が、ノブがカチャリと音を立てると静かになった。俺は廊下を歩きながら笑いをかみ殺す。
いつか俺はあいつに伝えるのだろうか。それは分からないことだったが、俺が言ったことはもちろん皮肉などではないし、『特別』というのはあながち間違っていなかった。