見張り当番の時間はとっくに過ぎたというのに、俺はなんとなく動く気分にはならなかった。もう日は沈んできたし、この時間以降はアイアンハイドが見回る。もうここにいる必要はないのに。地球時間で1日が終わりかける時間帯、この昼と夜の間の時はなぜか自分の故郷のことを思い出させる。
またか、と自分でも思う。
能力は似ていても、俺はハウンドみたいにはなれない。人間になりたいなんて。
この地球という場所は確かに資源も豊富だし綺麗なところだし、スパイクも大事な仲間だ。しかし、俺の故郷はセイバートロン星だ。
ハウンドはどこかにいつか居たいと思う日が来るなんて言っていたが、俺にはこの地球をセイバートロンのように思える日が来るようには全く思えない。
何万年も過ぎようと、あの日々が未だ懐かしいのは事実だ。日没の赤の中、ぼんやりしていると、自分はここに居るべきじゃないのにと悲しく思えてくる。
「リジェ、お前いつまでそこでぼーっとしてるつもりなんだ?」
ふいに背後から声がかかる。
「クリフ」
考え込んでいたせいで、センサーで感知できなかった。振り返ると、夕焼けでさらに顔まで染めた真っ赤な機体が俺を見上げていた。
「お前、見張りなら余所見なんかしてるなよ」
「どうしてここに?」
「なんとなくぶらぶらしてたら、お前が任務放って呆けてるから、俺が直々に声をかけてやったんだよ」
この血気盛んな戦闘員は何かとあると俺に突っかかってくる。ゴングにしろ、ミニボットたちは意外と気が荒い。前線にいる彼にとって、スナイパーという後方支援の俺から少しでも後れを取るのがいやなのだろう。
何かと、俺をひとりにさせてくれない。
「……そりゃあ、どうも」
「なんか元気ないな」
「そういう時もあるんだよ」
「そんなのいつもじゃないか」
こうも突っかかられると傷つかないわけでもない。しかし嫌味っぽい言い方はするが、今は全く悪気などないことは分かっているのだ。
からりとした性格のクリフは、一度でも認めてくれると態度が軟化する。
「言ってくれるね」
やっと顔を見て笑える。すると、彼もにっと笑ってみせた。
何か負傷している時やこういう気落ちしている時、彼がいつものように何か言ってくると救われる部分もあることは否定できない。
俺はそこまで社交的なタイプではないし、他となじめていない部分がある。少し前までは、コンボイ司令官たちのように自分を理解してコミュニケーションを取ってくれるひとたち以外とは、誤解が生まれやすかった。その点、彼が居るから今は円滑に皆と繋がれているのかもしれない。このクリフも前までは俺を信頼していなかった。意外と、そのことを気にしているのか。俺を構うのには、俺が誤解されないようにという正義感もあるのかもしれない。
同情から構うのか。そう思うと、自分でも理由は分からないが、驚くほどげんなりとした。急に彼のつっかかりが面倒くさくなる。
ならば開放してやろう。
「お前は何でそんなに俺に構ってくれるんだい?もし、エレクトロセルの時のことをまだ気にしているのなら――」
いっそ、拒んでくれたら良いのに。という思考がふっとブレインに浮かんで、自分でもおやと思う。どうして今苛立ったのか。
そんな言いよどみの間に、言葉をかぶせるように彼ががなった。
「お、お前がいないと、調子でないからな!」
そう言った後で笑って見せる彼に、ほっともがっかりもしている自分に訳が分からなくなる。感情の浮き沈みが激しいのも、それを見せるのも俺らしくなくて嫌だ。
がっかりって、なんなんだ。『何』を期待していたんだ俺は。これじゃ、まるで。俺がクリフに恋してるみたいじゃないか。
ブレインの演算上に出た応えに驚き、急に居たたまれなくなる。
今はこれ以上は彼と居られない。自分のいやな部分が出てしまいそうで。
「……はは、ありがとうな」
とにかく、うまく表情は隠せた。
行かなければ。
立ち去ろうとすると、オプティックの端でクリフの表情が暗くなったのが見えた。
「また、そうやって消えるのか?」
***
エレクトロセルの一件から特に、サイバトロンの諜報員であるリジェに余計に目が行くようになった。
もともと後方支援の彼には負けてられないとは思っていた。デストロンの地球からの脱出をたったひとりで宇宙船に潜入して食い止めたりと活躍の多かったのに嫉妬していたところもある。スパイとして活動していた彼はみんなから一歩引いていて変わった奴だと思っていたし、コンボイ司令官が妙に気にかけていたのも気に入らなかったと言えば嘘になる。あの穏やかな笑い方も。なにか都合の悪いことがあれば姿を消して逃げてしまうところも。蝙蝠野郎だと思っていた。あの時は、そんな彼が失敗した裏切ったと勝手に怒っていた。
しかしよく考えれば、ろくに知りもせずに勝手に頭の中にイメージを作り上げていた自分が悪かったのだ。司令官からも注意を受けたし、リジェを知りたいと思った。だから今度は、彼をちゃんと知ろうとした。
そんな行動がいつの間にか好意に変わったのはいつだろう。たぶんは今日みたいにぼんやりしているリジェを見つけてからだ。
リジェはよく、夕焼けの中でぼんやりしている。なぜかその姿に、不安を掻きたてられるようになった。飄々としているいつもの彼とのギャップ。そういう時、俺が見ていないうちにさっと姿を消してそのままどこかに行ってしまうような不安定さ。
いつも地に足がついていないというか。この蜃気楼みたいなやつは、俺が話しかけなければすぐにどこかに行ってしまいそうで。
「お、お前がいないと、調子でないからな!」
そんなリジェを構おうとする理由。思い切って素直になってみようとした答えは、つっかえつっかえしていた。
「はは、ありがとうな」
いや、俺なんかが話しかけても、こいつはどこかに行っちまうんだろう。
俺の言葉を軽く受け流し、踵を返そうとするリジェにそう確信する。欲しかった反応は返ってこないと分かっていても、期待してしまう自分を馬鹿だと思う。それでも。
――また、そうやって消えるのか?
「えっ」
向こうを向きかけた顔が振り返る。思ったことをつい口に出してしまったらしい。リジェが食い入るようにこっちを見てくる。どこか焦ったようなそんな表情は初めて見た。
「いや、ただ、行っちまうのかなって」
「……俺がどこに行こうが、そんなの俺の勝手だろう!」
いつも捉え所の無いあのリジェがこうも感情的になるとは。俺がこの無口な諜報員に干渉出来たのか、と自分でも自分のしたことに驚く。
しかし凄まじい剣幕に押されまいと、俺は売り言葉に間髪入れずに思わず言い返した。
「でも、ずるいだろ!お前、すぐにどっか消えてしまうんだから!」
「俺が好きなようにしてるんだ。お前には関係ないじゃないか!」
「いいや、関係あるね!」
「何でそんなに俺に構うんだ!」
『お前がいないと、調子でないから』。俺なりにかなり素直に言ったつもりだったのになんで分からないんだ。
さっきからのきつい語勢にめらめらと怒りがこみ上げて来る。
「ええい、好きで悪いか!俺が疑り深いのも、素直になれんのも知ってるだろう!」
言ってから、しまったと口を押さえる。気まずさに今度は俺の方が踵を返す。
突然、いつも突っかかってきた俺からこのタイミングで告白されたら、いくらリジェでも処理できないだろう。返事の無いのが何よりの返事だ。
今、時間が止まってしまえば良いのに。どうせ、振り向けばいつものように居なくなってるんだ。
リジェの透明化は時間制限がある。リジェが俺を拒絶する表情なんかを見たくない。そんな顔を見るくらいなら、時間が止まってしまえばいい。
「確かにエレクトロセルが切欠だったけどよ。好きな奴を気にしちゃあ悪いってのか。お前があんなに……」
そんなどうしようもない気持ちを吐き出した時、俺は聴覚センサーを疑った。次に自分のスキャナーを疑う。
くすくすとはにかんだ様に笑う声に振り向くと、そこには消えているはず蜃気楼がまだ残っていた。
***
振り返ったクリフは、信じられないとでも言うような表情をしていた。
「リジェ……」
「クリフ、お前にそこまで言われたら、どっかに行けるわけがないだろう」
照れ笑いでごまかすが、事実だ。
この素直じゃない機体がああまで言ったのだ。俺はそれに答える義務がある。義務?いいや、俺が答えたいだけなのかもしれない。
クリフはまだ自分の目が信じられないようで、俺の顔を覗き込んでくる。その視線で、自分の機熱が上がってくるのがわかる。
そんなにじろじろ見なくったって、自分が何してるかくらい分かってるよ!
間をごまかすようにゆっくりと肩に手を置くと、クリフの手がその手に乗る。やっと本物だと信じてくれたようだ。俺は可愛い、とこっそり思った。その肩が震えているのが分かる。
「な、俺だろ?」
重ねて微笑みかけると、ぎゅっと抱き寄せられる。バランスを欠いて驚いて声を上げる。その瞬間、またすぐに離された。
「す、すまない。つい!」
「いや、大丈夫だ」
クリフがすぐに謝罪するところなんてかなり珍しいぞ。いや、この状況自体がありえない状況なのだが。
彼もどう対処していいのか混乱しているようだ。
抱き寄せられたときに触れたクリフの腕の中、熱かったな。そう思っては自分の機熱がさらに上昇する。俺だってこの会話がこう転ぶなんて微塵も思ってなかったんだ。さっき自分でも嫌だと思った感情の波が押し寄せる。うんざりしていて、怒っていた気持ちが、今度は嬉しくなっている。
ああ、こんなの俺じゃないのに。
「クリフ。俺があんなに、何だって?」
なあ、と反らされた視線を捉える。
確実な答え、彼の気持ちに確信を持ちたい。なにかの言葉を期待する気持ちでスパークが跳ねそうだ。
ずるいとは分かっているが、クリフの口から、ちゃんと聞きたい。
「……お前がどっかに消えちまいそうに思ったんだよ!普段だってお前の居場所は無いみたいに卑屈だけど、なんとも無いなんて飄々としてるくせに。あんな時だけ消え失せそうな顔しやがって!心配するに決まってるだろ!?」
驚いた。二重の意味で。
隠していたつもりだった俺の気持ちが、そこまで他から見て分かるようなものだったのか。そして、そこまでこのクリフが俺を見ていてくれたのか。理解した上で考えて、俺をひとりにさせてくれなかったなんて。
「驚いただろ、俺がお前にこんな感情抱いてるなんて」
急に悪かったな。そう素直に謝る彼にもう一度驚く。
ああ、クリフは俺がただただ驚いているだけだと思っているのか。そんなことはない。何か言葉を探すが、いい言葉が見当たらない。彼の猪突猛進ではあるが、その真摯な気持ちに応えるような言葉が出てこない。
どうにもならない。
俺はしょうがなく、ただ笑いかけるところから始めた。
「……まあ、確かに驚いたよ。けど――」
考えながら、口に出しながら、一番良い回答を探す。
「何と言うべきか、嬉しいんだ。どうしていいのか分からないけど、とにかく、嬉しいよ」
我ながら間の抜けた答えだが、今は行動で示すにもどうしたらいいのか分からない。
好意を向けられるのは、喜ばしいことだ。それが、クリフからなら、嬉しくないはずがない。嬉しい。その感情を言葉として気持ちを返しているうちに、クリフの顔が赤くなり緩んでいく。
多分、俺も同じ顔になっているんだろう。
「それで。俺は、いや俺たちは。これからどうしたら良いんだい?お前の気持ちには応えたい。だから、ちゃんとお前の気持ちを分かりたいんだ。クリフ、さっきの台詞、もう一回言ってくれないかい?」
途端、クリフの口元がきっと結ばれる。
「ああいうのは、一回しか言わないんだ!」
「いいじゃないか」
「うるさい……恥ずかしいんだ。分かれよ」
また一段と赤くなったクリフが、いつものように笑った。俺もそれに釣られて笑う。
「――なあ、手、貸せよ」
クリフが手を差し出す。その手に俺の手を重ねる。それらがぎゅっと強い力で結ばれる。
「馬鹿力め。そんなに力を込めなくてもいいよクリフ」
「へへ、これでお前はどこにも消えれないんだからな、リジェ」
「いいんだよ。俺が居たくてお前の隣に居るんだから」
そこまで言って、はっとする。
ああ、ハウンド。これがお前の言っていた『居たい』ってことか。
確かに、嫌なことがあっても、もう今まで見たいに簡単には姿をくらませられない。このクリフが俺と皆の間に入って、みんなの中に居場所をつくってしまった。そしてそのクリフが、横に居て欲しいと思っていて、俺もそれに応えたいと思っている。
セイバートロンは懐かしいさ。
でも、俺だって誰かに居て欲しいと思われている。
「……なんか照れるもんだな」
もう回答は返ってこない変わりに、手がよりいっそう強く結ばれる。俺が恥ずかしかろうがなんだろうが、「離すもんか」。そう言いたいんだろう。無言で照れ隠しで睨んで来る真っ赤な顔を見て、もう沈みきっている夕日を思い出す。もう、夕日を見ても物悲しくはなくなるだろう。
クリフと同じ色なのだから。
それにこれからはクリフが横にやってくるんだろう。素直に言葉で言えないクリフはすぐに行動に出る。それが分かっているから、なおこの固く結ばれた手の意味が嬉しい。簡単に俺の手を離すことはない。
俺にかがむように手を引くクリフは、彼の顔を覗き込んでいる俺にキスをした。