アレ(モブ音)

座りなおそうとすると、痛みが回路をのぼってきた。レセプタが歪んで間接部を圧迫しているようで、脚部がうまく閉じないからだ。内部は裂け広がっているのだろう。
この回路も痛みを伝達するのか。これは胸部以下のパーツを繋ぐ重要な回路ではあったが、切るしかあるまい。もう足を閉じる必要も歩く必要もないのだから関係ない。中枢回路の信号はアレが壊した膝の間接以下は絶たれている。俺は日長一日机の上にオブジェクトのように座らされている以外に自由は与えられていない。なら。
そう思い首筋のケーブルに数本しか残っていない指をかけるが、最近は、自分の意思でどんどんと自分の体から『サウンドウェーブ』と呼べる自分の意思で動ける場所を切っていくことさえも許されていないのを思い出した。
しょうがないので、置かれたままでいることにする。
アレはアレの所有物である俺が勝手に動くのを嫌がる。こんな程度の痛みはアレとの接続に比べたら快ではあるし、折檻は時間がかかって不快だ。『教育』の後には、アレはまた俺の支配を確認したがるしな。

どうでもいい。

この状況に陥ってから、サウンドウェーブはブレインを使って前のように考えることを放棄したようだった。この場所に留め置かれているのだから、もう他のものを考えたりする必要はない。彼を縛り付けている者以外とは接触することがないのだから、他の機体に関心を払う必要も無い。彼が『アレ』と呼ぶ者のブレインの衝動はすでに彼の頭を浸食しきっているから、ブレインスキャンをする必要も無い。自分に集中しようにももうサウンドウェーブは疲れきっていたし、この状況から抜け出す術のない彼には自分自身に意識を向ける必要もなかった。
この姿をかつて彼が所属していた場所に居た機体たちはどう思うのだろう。驚き、『アレ』に嫌悪し、サウンドウェーブに憐憫すら覚えるかもしれない。しかし、彼にとってはもうどうでもいいことだった。あれからどれくらい時間が経過したのか分からないが、助けに来ないし忘れ去られているのだろう。この予想は今までの彼の存在意義や自尊心を破壊しつくし、取替えのきく存在だったと一度は落ち込んだことも恨んだこともあった。しかし、もうそういった羞恥や嫌悪などの彼の感情をかき乱す激しい電磁波はすでに思考回路から滑り落ち、ただただ『アレ』に関わることや『アレ』が与える刺激に「快」と「不快」の感覚を認知する程度にすぎない。人間の赤ん坊のようにただ受動的に反応するだけだ。
最初は、こんな凶行をする『アレ』を彼の言語で理解しようとはしたが、サウンドウェーブには壊れて狂った機体の毒のような電磁波は彼のブレインを苦しめるだけだった。壊れているなら仕方ないといった理由付けにもまだ納得できないが、そういうものだと認めることでしかサウンドウェーブの理性は片付けることができなかった。

「―-―-!」

するどい痛みにはっとすると、いつの間にか『アレ』が帰ってきていた。
最近はボーっとすることが増えた。スリープモードに入っているわけではないのに、モノのように動かない考えないと全てを手放している時がたまにある。

「よくできたね」

嬉しそうに、嬉しそうに、『アレ』が笑う。アレが触って初めて気がついたというのが嬉しかったのだろう。

「あんたは俺のカセットレコーダーなんだから、俺がスイッチ押した時に喘いで、他は何も喋らなくていいんだよ」

腹部のボタンをぐいぐいと指で圧される。

「グ、」

押し込まれたスイッチが内部で裂け広がったものと当たり、思わず声を漏らす。その途端、ブレインの動作が吹っ飛ぶ。ぼんやりとフリーズから開放されると、戻ってきた感覚回路から痛みが伝わってくる。視覚ががたつくのは、頭部になにか損傷を与えられたようだった。撃たれた、のか。
聴覚からは情緒不安定な不快な声が聞こえてくる。

「おかしいなあ。俺、再生ボタン押してないのに声が聞こえたんだけど」

カチカチとボタンを絶え間なく押す音を背景に、『アレ』はねえ、ねえ、と俺に呼びかけ――いや、こいつはだれに話しかけているんじゃない。誰でもない。『アレ』の頭の中にしか居ない俺へ話しかけているんだろう。
苦痛と不快な時間を耐えていると、『アレ』はふいに我に返ったようだった。

「あっ、ごめんね。このボタン馬鹿になっちゃった」

ボタンがもう腹部にめり込んでしまい、元に戻らなくなったようだ。
下のほうで、『アレ』が怒っているような笑っているような微妙な表情をしている。下?
いつの間にか押し倒されている。ああ、ついに平衡感覚もなくなったか。

「サウンドウェーブ、俺にお前を愛させてよ……こんなに愛しているんだ。ねえ、」

がちゃがちゃと俺の壊れたレセプタに自分のものを入れようとしているのが、ついにはっきちと戻らない視界の隅に見える。やつのコネクタも傷だらけなのによくやるものだ。
横になっていると、頬になにかのオイルが垂れていくのが分かる。多分、オプティックの奥の網膜センサーの組織液かなにかだろう。鼻の奥から口内に向かっても液体が流れている。さっき撃たれたことで、オプティックが潰れかけているのか。
自分のことに集中していたら、『アレ』が泣きそうな声で何かを呟いている。

「愛してくれ」

どうでもいい。
デストロンに帰ってももう戦力にはなれない。演算処理は情報処理のコンピュータ以下だ。特攻するような作戦に身を投ずるほど体力も無い。以前の癖で有用なスパークをいたずらに失うのは惜しいという考えがふいに足りないブレインに現れるが、本当に頭が足りていないだけだと打ち消す。『アレ』は俺のスパークすら自分のものにしたがるだろう。
どうでもいい。
俺の思考や感覚や機体がなくなった時のことなど考えていてもしかたのないのだから。

「サウンドウェーブ」
「愛してる」
「愛してくれ」

『アレ』はまだ何か意味の無い言葉をここに居ない誰かに向かって呪詛のように呟き続けている。ああ、不快だ。