①夜の底(ギャルアコ)

大人の男の人がこんなふうに泣いているのを見るのは、初めてだった。
見ているだけで、体の芯から底冷えするような冷たい冷たい涙。
さめざめと流れた雫は、ぽたりと細い顎先から落ちて、しゃがみ込んでいる真っ黒な礼服に染み込んでいく。とても悲しそうなのに、何故かその人の口角は上へと押し上げられていて、無理に笑っているようだった。
近づくと、泣き顔を少し驚かせながら、こちらを見上げられる。

低い声音が響いて、心音が跳ねた。静かで細くて消え入りそうな声だった。どうしてここに私が?そう言えば、私はどうしてここにいるんだろう。肩を竦める。その人の表情は全く変わらない。私に尋ねる声にゆっくりと目を閉じると、私はひとつのことを思い出した。

「……あの、お兄さんはずっとここに居たんですか?」

ええ、とても長い間。その人は頷いた。
死体のように青白い肌と不気味なほど真っ黒な髪の毛に、くっきりとした目鼻立ちが窪んで見えた。小説で読んだ吸血鬼ドラキュラみたいだなあと思う。

「あの、私、たぶん、あなたに会いに来たんだと思います。誰かを呼ぶ声が聞こえて…ずっと誰かなあって、」

そうですか。そう言って、その人は顔を俯けた。それから不意に力強い声でまた心臓がどきりと鳴る。私は…知らない人なのに、その願いを断る理由が見つからなくって。
気がつくと、了承していた。
座り込んでいるその人の腕の中は、見た目通り冷たかったが、その涙はとても温かくって、突き放すことができない。

夜の一番底の泥濘の奇妙な空間で、私はその人が可哀想で、悲しくて悲しくてしょうがなかった。