Jesus Camp (2006)

友人からの勧めで鑑賞。ブログでスポーツ、人種、宗教、政治の話はするなっていうけど。Whatever!!「アメリカでは何を言っても誰かが傷つく」って友達が言ってたし。
宗教を必要とする人もいれば要らない人も居る。コミュニティ、パーティー、政治、国。難しい。キャンプでテューターみたいのしてた女の人もラジオのコメンテーターに何を言われるか最初から分かってて「何?洗脳してるって言いたいわけ?他の宗教は?」とかバシバシ言ってたあたり、分かってるんだろうに。というか、他を比較に持って来たら問題が大きくなりすぎるからずるいよね。
それにしてもレビの名前がついた10歳くらいの男の子: リヴァイ君のしっかり度に脱帽した。宗教のキャンディと肉の例えとか。宗教を信じてない他の人は常に何かを探してるって。友人は「彼が宗教を持ってるからじゃないかな」って言ってた。色んなことにひとつの方向性が定まっててるから、視界が定まってるんだろう。イエス・キリストはたとえ話も多かったし、今まで教会やホームスクールでそういう話を聴きまくってるから引き出しがいっぱいなんだろうな。彼はそれを神様が精霊によって彼の口や手を通じて伝えてるんだみたいなこと言ってたけど。
色んな感想でごっちゃになる。正直、頭の片隅は冷静だけどキャンプのコップを壊すとことか堕胎反対の祈りシーンとかはちょっと感動して泣いちったしなあ。集団ヒステリーだとか簡単に片付けられないのが宗教だけどね。
うーん、頭の中でサウスパークのカートマンが歌ってるううう。黙れカートマン!
アメリカに留学すると、(というか、日本の外に出ると?)自分の宗教観が如何なるものか考えさせられる。キャンパス歩いてて、いろんな人がいるのと同じように、いろんな宗教の人、宗派の人、考え方を持ってる人がいる。公立だしね。けど、たまに吃驚することもある。
『「神はイエス・キリストであり、教室にいる全員がそれを信じてる」って前提で教授が講義をして、それを当たり前のこととして受けてる生徒に吃驚した』とある友達が言った。まあ、その生徒の中には他の宗教の信者でも「ハイハイ、この授業はこういう前提ね、オーライ」って考えてる人も居るとおもう。でも、日本の普通の公立の大学とかでそんな経験をすることってあるのだろうか?宗教というより慣習であると思ってるor普段何も思いもしない人が、宗教に対してそんなフレキシブルな対応を急にできるだろうか。私も日本文学専攻の人に日本の宗教観を尋ねられてその後質問責めにあって吃驚した記憶がある。
自分は宗教の話をすると、ちょいと変な位置にいる。中高がミッションスクールで宗教委員をやって教会にもたまに通って洗礼してもいいなとも考えてたくらいのキリスト教徒寄り。プロテスタントだけど結構厳格めでカソリック寄り。ただし、神道・仏教もイスラム教もユダヤ教も認めるし、実家には神棚も仏壇もあれば敷地内に土地神さまも祀ってあったし、イスラム教やユダヤ教の教義に関する書籍に興味を持って読んだこともある。一部の在り方は「現代」の考え方に合わせなきゃ、神道の考え方は大体好き。八百万の神様がいたら世の中面白いし、感謝とかお願いしやすいし。高校は理系クラスで理科学系の基本的な勉強は一通りやった哲学も心理学も好きな今は文系。宗教的生活は穏やかだし、特に昔からある世界宗教とかは何千年とか伝えられてるわけだから根本的な戒律の人類の社会としても本能とか生物的にも歴史的にも心理・精神にもけっこう反映されてると思う。私が他の人に悪い影響を与えるのも与えられるのも好きじゃないけど、カルトもオカルトにも興味持ってる。信じてるけど信じてないから、他の人の信仰に寛容。こんな感じ。
だからこそ、このドキュメンタリーを見てショックを受けた。お勧め度は高めです。
追記: 何かのキャラを想起させるな〜と思ったら、ユリイカ! シンプソンズのネッド・フランダースだ。ああ、スッキリ
*他ブログの閉鎖を機に細々書いていたものの転載*