恋の毒薬・8

「ラチェット君も、すまんね」
リペア台へ向かいながら、横の機体におずおずと話しかけると、呆れを含んだような声で答えが返ってきた。
「流石に慣れたよ……」
怪我をした時の有無を言わせないところと、結局は吾輩にこう言ってくれる彼の優しさにホッとする。
そうして、ラチェット君はいつもの言葉をつないだ。
「君が壊しても、私が治せばいい」
彼自身は気づいていないのかもしれないが、むすっとはしながらもこういう時に少しだけ照れ臭そうにする。それにいつもつられて吾輩までもが照れくさくなる。
こういう信頼がひどく嬉しく、ラチェット君を好ましく思う。
……やはり、この間の最近吾輩のブレインを占拠しているあの測定結果は友情という意味でしかなかったんじゃないか?
ラチェット君がわずかに笑ったような気がして、そう思い直した。
確かに数値は特別な『好き』、恋愛感情という結果を叩き出していたが、友情だって『好き』には違いない。この穏やかな関係性は恋愛には程遠いのではないだろうか。
そういえば、自分のことで頭がいっぱいになっていたが、ラチェット君もわずかではあるが吾輩のものに似た数値が出ていた。トランスフォーマーにおける機体差というものは十人十色で千差万別だ。たまたま、友情と愛情の結果に近似した結果が出る機体が吾輩だったというだけだったのだろう。納得のいかない結果を出したらしいラチェット君という身近な臨床例がいるせいで、この仮説はかなり信憑性があるような気がする。
ふむ、他の機体にも差が出るか調べてみるも面白いかもしれない。さすれば、全ての機体に効果があるような『ナニカ』が作れるかも。
そんなことを短い時間の中で考えていると、ラチェット君はそこで急に難しい顔になった。その表情を見て、見抜かれたのかとギクリとする。
だが、身構えた吾輩とは違い、続いたのはとても思慮深い言葉だった。
「ただ、頼むから私が治せないような怪我はしてくれるなよ?」
ポツリ、とこぼすように吾輩に念を押してくる。
こんな言葉をかけられるのは初めてだった。
「君ほどの医者がどうしたんだね」
突然の言葉に思わず驚きを隠せずにそう言った後、しまったとブレインが急停止する。
これは、この言葉は、この間のやりとりの続きなんじゃないか?
怪我をするな、危ないことをするなと釘を刺されたというのに、すぐにこの失態だ。今まで許されていたことだけれど、今までの積み重ねがあるからこそこんな言葉を言わせているのではないだろうか。
取り繕うようにおちゃらけた言い訳を追加する。
「しかし、吾輩としては『毒にもなるが薬にもなる』なら、毒も試さずにはいられない性分なんだけどね」
もう一声何か言おうとするが、その前にリペア台に辿り着いてしまう。
促された台の上から見るラチェット君はいつもの様子に戻っていた。
「毒の飲み方を知らないと、いつか身を滅ぼすぞ」
厳しい声音で鋭い言葉を投げられる。
やっといつもの調子だ。今日はいつもと同じなのに、何かが違うようで、普段のようなやりとりがこんなに安心するのかと驚く。
「へへ、相変わらずきっついなあしかし。でも、流石に医者が言うと重みがちがうねえ」
冗談っぽく返すと、ラチェット君は小さく笑った。
「よく言うよ」
落ち着いたところで、吾輩の手を検査するラチェット君を盗み見るように観察する。そして、
――本当に、いい医者やな
と、しみじみ思う。彼は言葉や態度ではきついけれど、行動はやはり患者のことを思ってなされている。吾輩が腕や腕に関わるパーツを怪我した時の彼の治療や検査の熱心さは繊細な作業も必要とする科学者としてはありがたい限りだ。
『頼むから私が治せないような怪我はしてくれるなよ?』
と、彼は先ほどこぼしたが、ラチェット君ほど医者としての技量と心持ちを持つものはセイバートロンにもひとりとしていない。吾輩はもちろん、あの司令官にも、他の機体にも信頼されているのだから、もっと自信を持ってもいいのにとも思う。
ラチェット君がどう思うかは別として、簡単に代替や取り換えが出来るモノは意外と少ないのだ。ましてラチェット君くらい優秀ならオンリーワンを名乗ってもいい。いや、でもそんなことを吾輩が言うのはお節介だろうけどねえ。
そこで思考が終わる。じっと手元で繰り返されている作業を見ていると、どうにも落ち着きすぎてしまう。ラチェット君に握られている手の機熱が安心感につながるからか、作業者が自分じゃないからか。
ブレインがぼんやりしてきたのを紛らわすように今抱えている試作品やら設計図を頭に巡らす。
ただいまのマイブームになりつつあるトランスフォーマーの心理や思考やらを生物学的な観点で科学の方に近寄らせたら面白いとは思う。例えば、三大欲求やら本能やらのブレインのプログラミングが機体の反応や特性、ブレインの感情などに強く影響されているのは先人たちの研究通りではあるが――
不意にその手がぎゅっと力強く握られた。
気づけば、ラチェット君に覗き込まれている。
先程までは怪我をした手の機能を入念にチェックしていた視線は、今は吾輩のオプティックを覗き込んでいる。何か悪い所見がないかの診察のような真面目さでじっと見つめられていると、なんだか責められているような気分になる。
まさか、吾輩の最近の『微妙』な感情がラチェット君にバレたのだろうか。ならば、早急に誤解は解かなければならない。
良い医師の条件は観察眼が鋭いこと。特にサイバトロンには怪我を隠したり無理をする機体もいる。それでもラチェット君から逃げるのは至難の技だ。
いや、とそこまで考えて否定する。もしそれに気づいていたとしたら、彼はもっとうまく『処置』するだろう。ということは――?
「……ラチェット君?」
恐る恐るその青い目を覗き返すと、ラチェット君は吾輩の手を握ったまま弾けるように身を反らした。
「あいててててて!」
捻り上げられて大声を上げると、ラチェット君が慌てて手を離す。
「すまない、ホイルジャック。考え事をしてたんでね」
「そうかね?てっきり難病の兆候でもあったのかとドキドキしちゃったよ」
「まさか」
否定の反応は速いが、ラチェット君にしてはやや心あらずといった調子の返答だ。てっきり手厳しい皮肉でも飛んでくると思ったが。
終わったよ、とだけ言ってリペアキットをしまい始めた彼の表情はリペア台の上からは伺えなかった。
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