吾輩を含めて、ラチェット君と副官が驚きの目でグラップル君の方を向いた。
「どういうことかね?」
「いや、もちろん悪い意味じゃないよ!」
原因が吾輩にあるという言葉の真意を探ると、グラップルは慌てて言い直す。みんなの視線が集まったということにややシャイなところのある彼は恥ずかしそうに少し下を向いた。
「ホイルジャックが惚れ薬を作るって聞いて、今までアプローチを試みなかったような機体も思いびとにアタックし始めたんだよ」
グラップル君の短い説明でもすぐにマイスター副官にはピンときたらしく、その本質を拾い上げる。
「なるほど。みんな自分の好きなひとが万が一にでも他の機体に取られては敵わないって思ったってことだな。関係をオープンにするのも、ある意味では他に牽制をしてるのか」
そういう意味で、吾輩が原因ということになっているのか。
……これでは、惚れ薬は集団の中の既存の関係性や体制を壊しかねない。結果として好転して晴れて成就する場合もあったらしいが、開発を取りやめて正解だった。司令官がすぐにやって来た理由はこういうことも感知していたからかもしれない。
納得しかけたところで、先ほどから黙って話を聞いていたラチェット君がゆっくりと口を開いた。
「いや、それだけじゃないだろう。私にはあのテレトラン1でみんなが観ているメロドラマの影響がかなりあると思えてならないね。あれが流行ってから、ことに恋愛に関するゴシップがよく流れるようになったからな」
その言葉にあのドラマのファンらしいマイスターとグラップルが痛いところを突かれたとでも言うように、お互いの顔を見合わせてばつが悪そうに笑った。
この意見にもなるほど確かにと思う。惚れ薬の話はあっという間に広まったっけ。それに、誰と誰がいい感じだなんて話もどこかで聞いたと思い出す。
「些細なことがきっかけで他の機体を意識し始めるってことは分かるよ。噂だってきっかけにはなりうる。誰かが自分のことを好きらしいって噂を聞いたら、確かに相手のことを気になり出すってのはよくあることだし」
グラップル君がやけにはっきりとそう言う。
彼にもひとには言わないだけで、そんなことを経験したことがあるのかもしれない。誰だろう、とふと頭をもたげた好奇心を押さえつける。
ゴシップの影響を話していたそばからすぐこれだ。
「……ゴシップも使いようではすごい効き目があるんやなあ」
少しだけグラップルの過去か現在の思いびとに思いを馳せながらぼやくと、マイスターがこちらを見てさらりと金言を放つ。
「恋も噂も伝染病みたいなものだからね。しかも自覚症状が出るまで、なかなか気づけない」
気の利いた言葉に感心すると、ドラマの受け売りだよとバイザーの下の口元が微笑んだ。
恋が伝染病だとしたら、さっきのふたりがお互いの感情を恋慕としてを『診断』するに至った要素はなんなのだろう。
先ほどの『愛が芽生えるのに、理由なんていらないんじゃないか?』という言葉だって、慣用表現としてはよく聞くフレーズではあるが、それでも吾輩は友情も愛情もどちらも愛の形だとは思う。この数ソーラーサイクルをかけて脳波の測定をしていてわかったことだが、やはり機体ごとに出る脳波は異なってくる。どこからが友情で愛情なのかなどはやはり曖昧だった。
「症状ねえ……」
恋の症状。恋愛感情との違い。何をしていても相手が気になること。触れたいと思うこと。独占欲や性欲。自分の欲を追うこと。相手の幸せを願うこと。挙げ始めると、切りがない。最近ずっと打ち込んでいる研究でだって、平均はあるものの、やはり個人差が強くバラついている。
我々は知的生命体だ。アンビバレンスな感情だって持ち得るし、その機体以外には理解できな複雑な思考だって持ち得る。
吾輩においては友達への親しみとしての好きと、恋愛感情としての好きの区別がこと分からない。
「恋に落ちたかどうかの検査薬があれば便利なのに」
ほうっと排気音を漏らすと、何を言っているんだとグラップル君とマイスターは笑った。
ふと、手をじっと見る。数日前にラチェット君に直してもらった手。掴まれ、じっと覗き込まれた。いつもの診断はあんなに近かっただろうか。今までなんとも思わなかったのが不思議でしかたない。
早く、このモヤモヤから解放されたい。
「検査薬。検査薬ね……」
ブレインに浮かび上がってきた『良い考え』を吟味する。
――失敗したら身体に毒なっちゃうんじゃないの?
――飲む?
――『毒にもなるが薬にもなる』なら、毒も試さずにはいられない性分なんだけどね。
猛毒の試験薬になるかもしれないけれど、試してみるしかないようだ。
君は、きっと怒るだろうなあ。
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31 2018.7