尋ねられた質問に素直に返したホイルジャックへの返答の音声は、自分でも恥ずかしくなるくらい上擦っていた。
「惚れ薬?」
「そう、惚れ薬」
吾輩に任せなさい、とそう言ってややシュンとした態度で出かけて行ったホイルジャックがすぐに意気揚々と帰ってきて、作ると宣言したものは想像もしていなかった代物だった。
『相手の予想を超えろ』とはよくホイルジャックが言うが。ブレインの片隅にものぼっていなかった言葉に、聴覚がおかしくなったのかと思った。しかし、驚いた私に喜んでいるホイルジャックの様子を見る限り、大真面目らしい。
誰かを惚れさせる? まさか、そんな欲がこのひとに――いや、まさか。
頭を振って、エラーだらけのブレインを荒治療気味に回復させる。
「誰の需要で?」
デバイスを立ち上げながら、作業台を片付けるホイルジャックに投げかける。すると、ホイルジャックはなんともないと言うようにあっけらかんと答えた。
「誰でもないさ」
「じゃあ君の需要ってことかい!?」
再度ブレインの回路は混乱をきわめる。
ホイルジャックにそんなものを作ろう盛ろうなどという気概やら欲望があるとは思ってもいなかった。出会ってから今まで、惚れた腫れたで他の機体に意識を向ける姿など見たことがなかったし、そんなことよりもはるかに発明品や実験に恋したように夢中になっていた彼が、まさか。
流石のホイルジャックも何か感じ取ったのか、設計図を打ち込んでいたデバイスを放り投げてこちらに居直った。
「まさか! 吾輩の需要でもないよ! ……たまたま人の色恋沙汰の噂を聞いたところで、吾輩のブレインにピーンと来たんでね!」
誰かの需要にと勇んで出て行ったが、結局は自分の興味じゃないか。
そう呆れる。しかし何故か分からないが、少しほっともしている。やっとブレインの動作も落ち着いて来た。
惚れ薬。色恋沙汰。冷静になれば、文字通り『ラブ&ピース』というやつではある。単純ではあるが、なるほど戦争からは一番遠くにあるようにも思える。
「ラチェット君はどう思うかね?」
緊張したように尋ねてくるところを見ると、先ほどの小言がかなり効いてしまったのだろう。強く言いすぎたか。あえて良い悪いには触れずに、医者としてのコメントを返す。
「確かに誰かを性的に興奮させることは出来る。人間ならフェロモン濃度を上げたり、催淫作用や興奮作用がある薬物を投与すればいい。でも、一時的ならともかく、薬でひとの感情を動かせるって思うのかい?」
「吾輩の才能が摂理をうちまかせたら。なーんてね!」
冗談めかして言うけど、ちょっと末恐ろしくはある。ホイルジャックならいつか本当に完成させそうだから反応に困る。感情を司る回路に何か外部から操作出来るとしたら。それも戦意喪失させることが出来たら。応用で立派に兵器にスピンオフ出来るじゃないか。
このひとも難儀だな。私が心配しすぎているのかもしれないが。
でも――
「なんでマシンじゃなくて薬なんだ?」
純粋な好奇心に負けて尋ねる。ホイルジャックといえば、科学者と言えど、パーセプターと比べたらどちらかといえば工学の分野が専門だ。
「薬だったら、飲ませなきゃいけないでっしゃろ? マシンで知らないうちに、ってよりはまだひとりよがりって訳じゃない。吾輩がそんなもの作ったってことは、完成すれば周知になる。そうすれば――ああ、それじゃあこんなもの作る必要もないじゃないか」
何かの結論に話している内に達したらしい。自己完結的に話を切り上げてしまう。
新しい発明品の構想からその発明品を諦めるところへと飛んだ思考を追いかけられず、私は置いてけぼりをくった気分になる。微妙な気持ちでいると、我に返ったらしいホイルジャックが解説を始めてくれた。
「例えば、吾輩がどんなやつにでも効果がある惚れ薬を完成させたと耳にしたら、どう思う?」
「どう、って君が成功したっていうなら、効くんじゃないか?」
ホイルジャックが近くに転がっていたシリンダーを持って、仮にこれがそうだとしようか、と言いながら振ってみせる。
ホイルジャックが作った。しかも完成品。それなら、効果は認めざるを得ない。
「でもって、そんなタイミングで、誰かが急に君に飲ませるように液体エネルゴンを渡してくる。そしたらどう思う?」
「まさかとは思うけど、盛られたかな、とは思うよ」
ホイルジャックはこれまた近くにあった液体状のエネルゴンに握っているシリンダーから何かを入れる動作をしてみせる。過度に演技じみてはいるが、なんとなく言いたいことは分かってきた。
「飲む?」
「薬が入っている可能性があるなら飲まないよ」
「でも、それを渡してきたのが好きな相手だったら?」
好きな相手だったら。
誰も浮かばずに、しかし現実に目の前に差し出されたエネルゴンを見ながら想像する。
既に好きな相手だったら。しかも惚れ薬を盛ってくるってことは、少なからずこちらに好意を持っているということだ。
差し出されたエネルゴンを受け取り、手の中のそれとホイルジャックを交互に見る。
「既に好きなら、飲んで相手の出方を見ないか? とすると、受け入れた時点で告白成功したようなものじゃないかと思うんだがね」
まあ、そうかもしれない。でもだからって、作成の中止にはならないだろう?
無言の肯定で続きを促す。
「それにプラシーボってのもあるだろ? だから君がもし――吾輩がラチェット君の持ってるエネルゴンに惚れ薬を盛ったって信じるなら、それは惚れ薬になるって思わんかね?」
演技の延長上で肩を掴まれ、至近距離で覗き込まれる。
ホイルジャックが、私に、惚れ薬をねえ。
プラセボ。偽薬効果。惚れ薬を飲んだと信じたなら。ただの仮説だが、ぼんやりと想像できなくもない。
そして、媚薬と分かっていて受け入れると言う選択肢。
このエネルゴンに薬が入っていたら。私は――?