今までの人生の中でもクソ映画のベスト30には絶対に食い込む群を抜いたクソ映画。netflixじゃなかったら絶対にお金を払いたくない作品。上映中は、その部屋にいた全員が携帯を弄りながら嘲笑いながら見るという大惨事。
無駄な家族愛、恋愛要素と水着、金髪巨乳。CGも2010sとは思えないレベル。あとはオカマちゃんとかがいたら完璧だったのになあ。多分、Rotten Tomatoとかのネットの評価サイトやブログなんかでコメントやレヴューを見て回った方が面白いタイプですね。
でも、こういうくだらないのはたまには必要なのかしら。
*他ブログの閉鎖を機に細々書いていたものの転載*
カテゴリー: 感想
涙そうそう (2006)
昨日、既観の友達の勧めで、沖縄出身の友達たちと一緒に居るときに鑑賞。ガン泣きするような感じではないですがほろほろとちょっと泣け、沖縄っぽさに触れられる映画でした。「えんだー」とか街の通りが映るたびに盛り上がる沖縄衆がほほえましかった。
この映画のいいポイントは、伏線がすごく分かりやすいところ。と、にーにーが薫に男女的な意味で「好きだ」とは伝えないところですね。そういう風には見てるんだけど、本当に血の繋がった妹として通した。ここが切なくて、でも家族愛として萌えます。エンドクレジットの子どものときの「妹とは結婚できないんだ」というのからして、本当の妹として思いたかったんだろうなあ。三つ子の魂なんとやら。
あと、ばあちゃんたちが、とっっても格好いいところがよかったです。市場のばあちゃんと島のばあちゃん。過去を背負って生きているのがよく分かる。戦争と言う意味でも、人生と言う意味でも。だからあんなに魅力的なんだろうなあ。
最後らへんが結構展開が速くて暗転が多かったし飛んでるのは微妙でいろいろと軽かったけど、自分的評価は高め。
映画を見ていて、沖縄の友人たちが「内地(本州のこと)は~」とか「俺ら(沖縄の人)は~」とよく言うのがなんとなく分かった。私なんかは本州の東京圏で20年間育って暮らしてましたから、他県と差はあっても、近い県とはそこまでの差は無い。日本の真ん中で暮らしているから、北へ南へ西へ行くと違いにびっくりする。まあ、近すぎて、東京の人に指摘されるまで気づかない方言とか結構あるけど。特にイントネーション。アメリカ来たらアイデンティティ炸裂で、「は?これ標準語じゃないの?」とかあったり、「久しぶりに会ったら、○○の『他の』の変なイントネーションが懐かしい」とか言われました。
ま、沖縄の個性はとにかく強い強い。彼らの標準語だと信じる「うちなーぐち」は横で聞いてて面白いです。その子達とこの一年一緒に居たら、アメリカに来るまでは意味不だった石敢當さんの歌う『ダブルラリアット』の歌詞が聞き取れるようになってしまった。「上等」とか「でーじ」とか。あと「得意の」とか「アファー」とかはよく使うようになってしまった……。(あと、韓国の友人のせいで「チンチャ(マジ)」を使うようになってしまった。)
また沖縄行きたいなあ。山に囲まれた内陸出身なので、海とか超あこがれるし、ご飯おいしいし。
自然大好きな健啖家には天国ですな。
てか、『ざくろの色』とかを見つけてきて観てるのからしてバレバレでしょうけど、他民族とか地方とかの民族性・民俗性・個性とか大好きです。先週、iPad Airを完全趣味用に買ったら、「民族・民俗」フォルダがすぐに出来ました。
そういうテーマのor垣間見られる作品あったら、是非是非教えてください。
*他ブログの閉鎖を機に細々書いていたものの転載*
ジブリ見直しweek #1
『紅の豚』を見てから、もう頭がジブリでいっぱいになってしまったので、ジブリウィークにします。まあ、すぐに取り寄せとか大量に借りたりとかは出来ないから勢いは無いですけど、じわじわスタジオジブリ作品を見直そうと思い立ったわけです。手始めに主人公が女の子の恋愛ものを鑑賞。『耳をすませば』、『コクリコ坂から』、『おもひでぽろぽろ』。そして男主人公だけど、今私が大学生ということもあって『海が聞こえる』。
主人公と自分の年齢を考えて、『耳をすませば』(中学生)→『コクリコ坂から』(高校生)→『おもひでぽろぽろ』(小学生・社会人)→『海が聞こえる』(高校生・大学生)の順番で見ました。宮崎監督には是非、女子大生の主人公の映画作ってほしいなあ。
「アニメーション映画は子どものためにつくるもの。大人のための映画はつくっちゃいけない」
って言ってるから微妙だろうけどね。それか、高校生の主人公で過去と未来の連続と自分についてを考えるものを作って欲しい。雫は現在の自分と自分の未来に、海は自分の原点と自分と周りに対峙した。タエ子は自分の原風景とそれにつながってある現在の自分を変えたわけだし。こう、すべてがごちゃごちゃとした中をどう片付けるか、その決着はどう描かれるべきなのかを知りたい。
見ていて驚いたのが、もう『おもひでぽろぽろ』を見ても「意味が分からない」とか「耐えられない」ってならなかった自分。タエ子のわがままは自分に繋がるところがあって、昔はイライラしてみれなかったからなあ。もう、小学校5年生より、OLのタエ子のほうがずっと年が近いせいなのかな。それとも、もう子どものころの自分を「かわいいもんだ」と笑えてるのか。私はまだ客観的に見れないし、見たいとも思えないんだが、過去を過去として自分と切り離すことがなくなったからかなあ。宮崎監督が「子どもは失敗しても良い」って言ってるし、そういう意味で子ども時代の自分を認められるようになったのかも。
『海が聞こえる』は今回が初見。方言系男子に可愛いなあと見てて、武藤が杜崎のこと好きだったのは普通に見てて分かったのに、杜崎も武藤が好きだったのはぜんぜん分からなかった。フラグとか見るのうまいつもりでいたけど、男心は女子校出身だから分からんかった。これぞ、トシオの言う「これだから女の子は……」なのかなと思ってた。
【番外】『猫の恩返し』。バロンに胸キュンしすぎて観てしまった。これはバロンがただただ格好良すぎる映画。私が中学のときにホームステイ先でホストシスターとDVDで見たのだから意外と古い。10年前とかですかね。こういう日常→非日常系の作品って最後に絶対に日常に帰ってくるのは何故でしょう。私なんか絶対に「猫もいいかも~」って言って猫王様とは結婚せずとも居ついちゃうだろうに。でも、家族とはきっかり離れることになっちゃうし、もとの世界を恋しくなるのはあるだろうけどね。
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アニメ映画
スプリングバケーションで友達が泊りに来たので、アニメ映画鑑賞会を開きました。
・『紅の豚』
友達が見たことないと言って急遽鑑賞。私が「ジーナ本当にいい女」「豚が恰好よすぎる」と騒いでいる横で、友達たちの感想は「よく分かんなかった」でした。なんと。ロマンしかない、ロマンしか感じない!のに。
私は諸説ありますが、豚である理由は他の人が言ってるように「臆病者(ポルコ・ロッソ)」と自分に魔法をかけ続けてるというのが自分の中でしっくりきます。戦争で自分だけ死ねなかった、自分の生だけに集中して仲間を見捨てた、そういう自責の念から自分や他人を「信じる」ことに臆病になってしまったんじゃないかなと思っています。一種の人間性の喪失というか。ただ、ポルコの場合はその自暴自棄気味さと臆病さで「豚」と「人」を分けることで自分を守っていたんじゃないかなとも思う。自分から踏み出さないから、ジーナがずっとポルコのことをマルコと呼んでいた意味にも気が付かないで。フィオはその若さで、ポルコに初飛行のころの初心を思いだすトリガーの役割だったんだろうな。飛行機に乗って、側にはジーナがいて、単独飛行に挑戦するほど勇敢で、「人間」だったころの。
小さいころはただただつまらん映画でしかなかったけど、いつのまにか面白く感じるようになったから映画って面白い。
・『カリオストロの城』
これも友達も見たことがないと言ったので見始めたのに、途中で友達がみるのをやめてしまったという。こいつらとは趣味が合わない……とふと思った。名作なのだぞ?これに関してはもう感想はいらないほど見まくってるから黙ります。
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留学生活のぼやき編
うちの大学はもう春学期が始まりました。
今学期は先年の秋学期の反動で語学系ばっかとってます。全クラスが文学系で読む量が1週間に5~6冊とかドM丸出しなクラス選択を余儀なくされたので……日本にいても厳しい教授のクラスにご縁があって、なおかつそれを自ら取るっていう傾向があるんですが。まさかアメリカでも……です。
語学系で不思議なのが、英語で教わるほうが分かりやすい。そして日本で副専攻で教職とってるので、第二言語習得を間近で見るのはすごい興味深いです。少し前の要領改定云々でinductiveっぽく教えるとかどうのこの聞きましたが、まさにそれ。すっごい面白いです。ま、先生がその語学のネイティブなので、私が日本で英語を教えるにはやっぱりもう少し不自然なものになるかなと。
まだ仕送り前なので、最近は本当にお金が無くて冷蔵庫に
・食べかけのキスチョコとあめ(袋)
・冷凍した食パン
・チーズ
・お金があった時にまとめ買いした日本の調味料
・小麦粉とパンケーキ粉
しかない(笑) カードも口座にもまったくお金が入っていない。うどん・すいとんはめんつゆの味しかしないし、パンケーキは甘いしでずっと食べるのにはつらいですね。パスタ(塩コショウバターorペペロンチーノ)も飽きるし。
うどんやすいとんに飽きたので、さっきは『キツネ山の夏休み』の「食パン焼き」もどきを作りました。食パンをさっと水を含ませてつぶしながら焼く。両面がいい感じに焼けたらをソースを絡めながらちょっと焼いてそれに鰹節かけて食べるんですが。それなりにおいしい。
ああ、『魔女の宅急便』で貧乏なときにジジがキキに言った言葉が頭に浮かぶ。「このままお客さん来なくって、ずっとずーっとパンケーキだったらどうするぅ?」
パンケーキ好きなんですけど、飽きるし、いかんせんAGE値が高すぎてな……紅茶はいっぱいあるけど、コーヒーとかの嗜好品はない。
ま、ここで平成ムーミンでパパが言ったひとこと。「そうとも。我慢できなければコーヒー豆かじってお湯を飲めばいい。乙な味がするぞ」。なければ無いなりにがんばれってことですねw
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Yellow Submarine (1968)
昨日上げた記事をサイレントとイエローサブマリンに分割しました。
『Yellow Submarine』(1968)
サイレント白黒映画におなかいっぱいになったので、色彩ガンガンなサイケっぽいのを。
こういう色使いとか詰め込みかたが大好きだ。人生で一番回数見てる映画。これ以外のビートルズのアニメショーとか、『マジカルミステリーツアー』は本当に微妙だけど、これだけは別次元。たぶん50回は余裕で見てる。
ジェレミーが好きすぎて、”Nowhere Man”のシーンだけでも本当に見る価値があると思う。Nothingではあるけど、かならずSomething (価値がある)ではあるってのが良い。寂しくなったり、何か失くしたら観たくなる。オチと言葉遊びと伏線回収がうまいアニメだよなあ。「無の一部だ」「だけど何かではある」。「Save tea (safety)」とか。
ビートルズ・ボックスにサントラのまで入ってたけど、これのDVD入れてくれればよかったのにと思う。リメイクの話流れちゃったし、またなにかチャンスがあったらグッズ出るかなあ。ジェレミーのふわっふわ、もっこもこのぬいぐるみ作れば売れると思うんだけどね。でも、40幾 年前のこの映画がまだ評価されてるのはすごい。映像や脚本もあるけど、ビートルズっていうアイコンと音楽があってこその映画だよなあ。この間、セントラル パークのストロベリーフィールド行ってイマジンのモザイク見てきましたけど、すごい人数の人がいて写真撮ってたし。ビートルズは偉大だ。
サイケと聞くと、サウスパークでマッケイ先生がぐれる話を思い出すのは内緒。
おまけ
Moon Rock (1970)
昨日見ていた『イエローサブマリン』の監督の短編SFアニメ。
ううむ、確かに似てるところが多いな。アニメと実写を混ぜるところとか。特にストーリーがないから、細部をじっとみるタイプのアニメですかね。お菓子とかなんか異形の者がいっぱいで、そのわりにアポロ計画の映像のようなリアルタッチでシュールだけどちょっとかわいい気がする。
*他ブログの閉鎖を機に細々書いていたものの転載*
サイレント映画2本
『戦艦ポチョムキン』(1925)
食べ物腐ってたから水兵さんがブチ切れて反乱起こしたとか世界史で習ったなあ、と思いながら観始めました。有名な『映画史上最も有名な6分間』のオデッサ階段のシーンは本当に素晴らしかった。構図が単純だろうと、実際に起こってなかろうと、見ている人を悲しませる・政府軍に対して怒らせるという目的は上手に果たされてるんだから馬鹿にすることじゃない。良く撮ったなあと思う。
それにしてもエキストラの人数がすごい。先日の『メトロポリス』もすごい数使って映画会社が潰れたとか聞いたけど、これはただ働きかな?プロパガンダ映画と言われるけれど、実際貧しい中にいたら、殺されるのもためらわずに戦いを挑んだ人には(自分ができないから)敬意を払うだろうなあ。まあ、実際はポチョムキンの船員たちはあまり受け入れられなかったと聞くが。そこらへんがフィクション交じりのプロパガンダなのか。ロシアは戦争時、捕虜になった兵士が捕まって大喜びしたって聞いたことがあるから、兵士の従軍事情は実際もっと酷かったんだろうなあ。民衆の前に兵士がお上に対して蜂起するんだから。げに食べ物の恨みはすさまじい。
軍艦上の生活とか、攻撃時、進行・出力全開時の様子とかよく分かってその点もかなり興味深い。分かってたけど蒸気機関とはいえ、中は全部手動なんだよね。砲台って重いんだなあ。
映画の内容と関係なく、アイルランドのじゃがいも飢饉とかも思い出されて、自分は恵まれてるなあとまでぼんやり思ってしまった。
『カリガリ博士』(1920)
某バンドの名前の由来と聞いてずっと密かに観てみたかったカルト映画。基本的に顔が怖い。パブリックドメインなのでこれもニコニコで観ましたが、みんな思うところは一緒だなあとコメント見てて思った。小道具大道具のセットにまっすぐな線が少ないから、ちょっと不安感を覚える。何を言ってるかは簡単に推測できるんだけれど、でも場所とかうんぬんは良く分からなかった。「院長」って言葉で初めて白衣・病院だって気づいたし。
とにかく、おもしろいけど、クオリティ的には微妙でした。あと、サスペンスシーンの直前なのに、字幕間違ってるって!「アラン、僕たちは彼女を愛しているけど、彼女が僕らのどっちを選んでも友達でいよう」って訳がとんでもないことになってて笑った。その誤訳へのコメントで「この翻訳もドイツ表現主義」っていうのに爆笑。その後の字幕を考えるに、誤植ってことなんだろうけど。
どんでん返しオチは使い古されてるとはいえ、やっぱり良いな!カルト映画ときいてどきどきしてたけど、そこまでカルトくさくなかったなあ。でも人間ってこういう他人の妄念につよく惹かれるのってなんでなんでしょうね。不思議だ。
*他ブログの閉鎖を機に細々書いていたものの転載*
千年女優 (2002)
『千年女優』(2002)。今敏監督。
「その愛は狂気にも似ている。」って歌い文句だったけど、狂気なのか?誰かを猛烈に愛している自分が好きで何が悪いんだ?希望を愛する自己肯定や自己愛じゃいけないのか。というかこのコピーでそう思わされただけで、これって恋愛物語だったのか?ぜんぜん思いが通じ合うところとかなかったぞ。鍵の男は14日目の月が好きだと言った。あの鍵は千代子にとっての恋というよりは、希望と絶望の象徴なんだと思うし。鍵の男に会ってはいけない。枠だけが一定に動き続けるけれど、悲恋物として完成してはいけない。月にしろ、絵にしろ、再会にしろ。最初は社長さんがドキュメンタリーの中でもいいから千代子を鍵の男に逢わせてあげればいいのにと思ったけど、あの千代子の語る物語だとそれはご法度。
むむむと考えた中で、私はこの映画は3通りの見方があるかなと思ってます。
・輪廻転生の物語として観る。(これがコピーの見方?)→千代に繰り返される悲恋。社長も先輩女優も鍵の男も同じ宿星の関係でめぐり続けている。ただ、そうすると、あの映画群はなんだったのか?どの話も、恋しい人をヒロインが追い求めるだけの話。千代子の愛らしさと若さで必死にすがる姿はそんなに何本も焼き増し撮るほどファンに受けたのか?確かに輪廻に沿い過ぎてて、どれを演じてもはまり役だったんだろうけど。
・輪廻転生じゃなくて千代子が老衰で記憶がごっちゃになっていたと観る。→鍵の男の情報のせいで、上記のように映画のはまり(過ぎちゃった)役と千代子の人生・記憶が老衰でごっちゃごちゃになっていたと考えると、それが鍵がきっかけになって、自分の出た映画と自分のファンの男とはなしをすることで整理して逝けたということになるのか千代子が自己を投射した映画が過去現在未来と関わりが無いなら、千代子は鍵の男と死後の世界で会えるとも取れるなあ。ある意味、ハッピーエンド?でも、そんな頭の中が渾然とした状態の中で、どうやって自分の死期を悟ったのか?とこれまた謎がいっぱい。
・三つ目。私はむしろ実際に千代子に起こったことと彼女の人生をかけて綴った、千代子という女優に化かされる話なんじゃないかなと、観終わった後にひとしきり考えた後に思った。事実とフィクションで振り返ってドラマチックな物語を作り上げたんじゃないかなと思う。この場合、命をかけたお芝居であるから、薬を飲まないことで自分の死期を作り上げたんじゃないかなあ。
馬の骨を名乗るほどじゃないにわかだけど、師匠のLotus三部作的に個人的は輪廻なのかそうじゃないのか振り回されてます。”Switched-on Lotus”とか、望まぬ牢(肉体、flesh)から園とか庭に行くわけだからなあ、終わりはあるんじゃないのかなあ分からん……でも変わるわけだから……ううむ。でも良い曲だよね!映画も面白かったし!いっか!
*他ブログの閉鎖を機に細々書いていたものの転載*
ざくろの色 (1968)
『ざくろの色』(1968)。セルゲイ・パラジャーノフ作。
Juno Reactorの”God is God”のPVに使われてて、前にも一度見ようと思ったけど観ながら寝落ちた作品。今の勢いなら見れる!と思い、鑑賞。最近、バンパイア生活してるので、夕方の四時とかに起きたから大丈夫かと思ったら、半分くらい見て猛烈な眠気に襲われて十時くらいに寝てしまった……。
どこを切り取っても美しい映像。ただ、ストーリーはあるけど理解しづらい。一番最初にシンボリズムやアレゴリーで示すよって書いてあったのですが、アルメニア文化にゆかりのない日本人の自分が見てもどこまでがそういう文化でどこからがシンボルなのか分からんのが残念。キリスト教的シンボルも見られて、でもちょっと東方教会っぽくて私には分からないし。でも、ソ連に組み込まれたけれど、西アジア・北方・東欧の文化が混ざり合っていてとてもアルメニア文化って魅力的。
日本だとざくろジュースとか1000円くらいするから絶対に買わないけれど、アメリカだとすごく安いから飲みだめ食いだめしてる今日この頃。修道院でもりもり食べてるシーンがありましたけど、食べるうちから手から腕へ果汁が滴って、血のようだなといつも思います。キリスト教の宗教画的にはざくろはたしか復活と再生への「希望」のシンボル。ギリシャ神話的にはハデスがペルセポネに食べさせた死の国の果物。それだけに、一番最初のざくろとナイフからざくろの果汁がにじみ出るのがとても印象的。詩人は殺されたのか?それだと、最期の懺悔はできたのか?煉獄行き?でも、死を許されたっぽいところを見るとそうではないのか。あと、王妃が自殺っぽく見えたんですけど、あれはなんだったのか。死の天使が盲目っぽいのも死の不条理を思わせますね。
なんか火と水への、特に火への言い含みが多かった。火は詩人の燃える情熱でもあり、彼を焦がす苦難なのかなと思ってた。詩人の”You are a fire. Your dress is red.”と王妃の“You are a fire. Your dress is black…”あたりから特に。詩人の老年期に”I am wandering, burned and wounded, …”とか火を思わせる言葉が多い。彼のミューズがざくろの果汁を彼にかけているから、芸術への探求が彼を焼き殺したのか。でも黄泉の旅路にも竪琴を追いかけるんだから、死しても詩人であるってことなのか。詩人やodeに歌われた人や物が塵に還っても詩は残るとするとなんかシェイクスピアーっぽい。すると、詩人の幼年期のこの言葉が光ります。”Books must be well kept and read, for books are Soul and Life. Without books, the world would have witnessed nothing but ignorance. You should read aloud for the people to hear, in benefit of their souls… since many are unable to read what is written.”
むむむ、なるほど、面白かった。けど、謎しか残らない。雰囲気だけ味わいたかったら、先述のJuno ReactorやファンメイドのAMVとかで十分かも。
*他ブログの閉鎖を機に細々書いていたものの転載*
サイレント映画3本感想
『千年女優』、『パプリカ』を見て極彩色の世界に圧倒されたので、お正月サイレント映画3本立てで一人レイトナイトごっこ。深夜から見始めたからうっかり夜が明けてびっくりした。
『月面旅行』(1902)
世界初のSF映画。観終わってから撮られた年号を見て眩暈を覚えました。日露戦争の2年前にこのクオリティの映画が撮られていたのか!月の目にロケット砲弾が突き刺さるシーンや月面から地球を見るシーンなどの表現方法がとてもシンプルだけれど、今のCGに慣れた私としてはすごく新鮮だった。原作の小説からかなり説明を減らしているらしいからストーリーはめちゃくちゃに思えるけど、全体的にコミカルでテンポがよくって面白い。
『メトロポリス』(1927)
字幕でエレベーターやヒエラルキーが表現されていて面白い。エキストラ、セット、どれをみてもすごい。『SF映画の原点にして頂点』の名に恥じない。白黒だから絵やミニチュアや張りぼてでもすごく映える。デザイン、発想だけでも本当に一見の価値ありって感じ。人間の価値や社会の歯車とか訴えかけるものが多くて驚いた。ブレインと手足との差。オーウェルのAnimal Farmの豚たちとボクサーたちを思い出しました。過去のことではない現代にも続く問題が多くて、感動を禁じえないぞこれ。
古典的あらすじもあるけれど、そのなかで「10時間が終わることはないのか!」という絶叫や、入れ替わった労働者が繁華街に行っちゃう妙なリアリティがたまらない。でも「ヨシワラ」って名前の繁華街にはさすがに笑ってしまった。
キリスト教的暗示が多くて、それだけでも見入るに事欠かないし。すでにパブリックドメインなのでニコニコで観たのだけど、「三位一体」というコメントには構成やモチーフ的にすごく納得した。ただ、やっぱり父と子と精霊とするには労働者がふさわしくないね。息子がキリストだとすると、とてもわかるんだけど、やっぱり差がありすぎる。終わった後にメイキングと欠損補完動画に飛んだあたり、やっぱりニコニコのクオリティは高い。
『アンクル・トムの小屋』(1903)
名場面集って感じなのかな?その割に、一番好きなエヴァンジェリンとトプシーの抱擁とそれを見てのオフィーリアの自覚のシーンとかが無くって呆然とした。前に原語版でざっとだけど読んでるから大体の流れは分かるけど、これぶつぶつ過ぎるな……あと誰が誰だかたまにわからん。
今回改めてわかったこと:サイレント映画は馬鹿にならない。映画は集中できないので苦手なんですが、文学に言える「良いものは良い。古いもの≠良いものとは限らないけれど、評価されているものには必ず価値がある」の法則が映画にも通じることだと痛感しました。当たり前なんだけどね。自分の分野じゃないとやっぱり忘れかけてしまう。
映画とか観てると感情移入しすぎてイライライライラしてしまうので、サイレントはそうならなくって一気に見れたから、自分に合ってるのかも。次は『戦艦ポチョムキン』『カリガリ博士』とか観ようかな。
*他ブログの閉鎖を機に細々書いていたものの転載*
T. S. Eliot – The Waste Lan
エリオットの”The Waste Land”。エリオットの支援者でもあり友人でもあるパウンドがこの詩にかなりアドバアイスを寄せていているとかで、もともとのドラフトからはかなり変化してて、合作のようなものとも考えられるかも……っておいおい。
さまだらない語り手、場所、時間。Allusionの多用。英語以外の言語の使用。最初は脚注と本文行ったり来たりで、短い詩なのに読むのにすごく時間がかかる。象徴として捉えるのも大変。
ネ イティブの子でも読んでて混乱したそうな。そこで、Youtubeで英語話者の人が朗読してる動画を聞くのがオススメかも。エリオット本人の肉声のビデオ もあるYoutubeは本当にすごい。数行読んでるだけで頭がおかしくなりそうになるME作品の朗読も結構上がってるから、本片手に流すと強制的に目を通 さなくちゃならなくなるのですごく楽。カンタベリー物語では非常にお世話になっております。
とまあ、ザーッと読んでるうちにだんだん慣れ てきて、「この詩はなんだかすごいものらしいぞ」と詩分析初心者のわたしでも思えてくるのがすごい。まあ、出だしの”April is the cruellest month”で始まる連からして、すごく引き込まれるんだけど。 とにかく、こういった混沌とした構造やテクが”waste”な状況を象徴している。性的 なものを匂わす箇所などにWW1後の崩壊したアイデンティティや価値観が垣間見える。この詩のタイトルの「land」は荒れ果てた心のことをいってるん じゃないかな、と読んでいて感じた。
(断っておくと、わたしは英米文学専攻でありながら詩を精読して分析する、というのは初心者。留学来てから「やらなあかんよな」と始めてすでに詰んだ。教授はすごく素敵だけど、実力から考えたら取らなきゃよかった!……のかも)
エ リオットは、English man in NYならぬAmerican in Britain。(アメリカでは”genteel tradition”の中で育ったらしいですが。)このエリオットで面白いのが、私がアメリカ文学史で読んでる”The Norton Anthology American Literature Shoter 8th Edition Vol.2″にも、日本の大学での講義で教授がたまに使ってた”The Routledge History of Literature in English – Britain and Ireland”にも載ってるところです。えっと、確かにアメリカ人だけど、英国人でも……う~む。これがよく教授が言ってる「英語で書かれたものは全て English Literatureとして取り入れちゃう英国のしたたかさ」ってやつなのだろうか。
*他ブログの閉鎖を機に細々書いていたものの転載*